電車通勤

職住接近というか、通勤に時間を使わない環境を求めて、いまの極小マンションに住んで「短歌工房」と名付けた。お蔭さまで十年間は通勤に往復25分という便利さで体を休めることができた。なにしろハードな勤務状況で、いったん出かけたら仕事のきりがつくまでは帰れない、という日々が数年続いた。まあ、短歌工房に住んでいなければとっくの昔にリタイヤしていただろう。ぼろマンション様様だ。有難うございました。
ところがサラリーマン人生のロスタイムのような今の業務では、二十代の日々以来の超通勤ラッシュで都心へ向かい、戻るという生活である。こんなになるとは夢にも思っていなかった。それに、サラリーマン生活の締め括りが花の都心のビルの中というのも驚いた事態である。これは感謝していいことであろう。有難うございます。
でも、通勤電車とは毎日のように時間の遅れという微妙な狂いが出ているのも驚きだ。世界に誇る日本の鉄道システムなのに、やはり超過密時刻表によって動くのが難しいのが通勤時間帯なのだろう。人身事故などはもちろん稀だが、急病人が出たとか、電車トラブルとか、自然遅延とかである。

朝は遅刻ということもあるので急がねばならないけど、夜は家に戻っても誰も居ないのだし、別に慌てることもないのだが、何故か急行とか、少しでも早く最寄の駅に戻れる選択をして、結果的に凄い混雑で汗びっしょりの日々が続いている。ああ何と言う貧乏症か。ゆっくり各駅停車を選び、座席を確保するという気にならない。
これは健康維持の作戦でもあるが、階段は必ず歩いて上り下りだし、駅までの一マイルも毎日歩いている。冬だというのに、駅まで18分歩くとじっとり汗ばむ。電車のなかは暖房が入っていて「池袋」駅あたりまでは汗が引かない。着膨れて襟巻きまで巻いている皆さんの中で、ずっと汗を拭き続けているのはある意味気が引ける。

きょうもそうして過ぎていった。
あしたもきっと同じだろう。
でも、今日は歌がひとつ電車の中でうまれた。
結構いい歌だ。

  生くるとは如何に死ぬかの裏返しかへすがへすもいたむ人の死

今月の23日は亡くなった長兄の納骨がある。
最近しみじみと寂しさを感じている。
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by t-ooyama | 2011-01-14 01:00 | Comments(0)

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