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三度、五月の青い空

もう六月の半ばだけれど、みたび「五月の青い空」について触れたい。
このHPでも、中学生の子が作歌して投稿したりしてくれているようなので、こんな記事も刺戟ななるかも知れないと思う。先に振り返った小澤さんの「五月の青い空」には、女性としての大先輩の中島さんが、その才能をリスペクトして真剣な読後感を寄せている。これも凄い量の文で、彼女の連載した「現代短歌主流と傍流」の二回目となっている。ちょうど中島さんも冬雷に復帰しているので、こんな時もあったと、思い出してもらうこともムダではない。じゃ、下のその「論」を貼付けます。
ご参考に。

■現代短歌・主流と傍流❷

        中島千加子

  灰色の夜空に墨汁ぶちまけて描きたくなった無数の星を
 最初の一首に、作者の心の中の何かがはじけ、始まった・・・私はそう思った。
首都圏の夜空は灰色である。曇りでもないのに、ぼやけた色をしている。まばゆい夜のライトが闇を照らし、漆黒の夜空にはならない。当然のことながら、星も見えない。
このような空に、作者は、自分自身のはっきりしない心の一部を投影し、それをつかもうと試みたのではないだろうか。高校二年生の作者の純粋な思いが、ストレートにこの第一首に表れていると思う。心の空に、自分の星を散りばめようとしたのであろう。このとき作者は、まだ十分には気付いてはいなかったのではないだろうか、自分の描きたい星の形に、色に、大きさに。星のかけらが掌の中にまだまだたくさんあふれ出てくることに。描いたはずの大きな星が、いつの間にか星屑になってしまう場合もあることに。
いや、気付かなくてもよいのである。私は思う。作者は、最終的に、自分らしく五月の空の昼間の青さをあらためて味わい、結局は、灰色の夜空でも、一生懸命に夜を繰り広げている、それに気付いたのではないかと。そして、灰色の夜空をも好きだと感じるようになったのではないだろうかと。灰色にされている首都圏の夜空の「本来の色」に思いを馳せる感性を、小澤なつ樹は持っているはずである。
   * * *
毎月の冬雷誌上で、私は、作者の歌を楽しんでいた。自分をとりまく世界を素直に受け止め、表現する作者の歌に、まばゆい透明感を感じ、心が洗われる思いにさせてもらっていた。勿論、その透明感は、変わらず「五月の青い空」の作品に満ち溢れている。
しかし、違う。これまで冬雷誌上で発表されてきた作者の歌とは、少し違う。生意気な言い方ではあるが、「五月の青い空」は、作者が歌人として、大人に向かう青春期の少女として、ワン・ステップあがったように、私には感じられた。それは、ある意味で、私を嫉妬させるくらい、ときめかせるという、素敵なものであった。
   * * *
「五月の青い空」を発表する前の二ヶ月間、彼女は欠詠していた。「忙しいらしい」と、聞いていた。
確かに、そうだと思う。高校受験が終わって、すぐに出る話題は、「大学受験」である。高校合格の喜びを詠んだ作者の歌が思い出される。「努力したからだね」等、高校合格をあんなに無邪気に喜んで詠んでいた作者・・・高校入学後、驚いたのではないだろうか?学業成績が同じレベルの同級生の中で、勉強は中学生時代よりも、ずっと大変になる。大学全入時代と言われているが、全入時代だからこそ、実は、受験戦争は一層厳しいものとなってしまっている。
とは言え、高校生時代、十六・十七・十八歳という年代は、心のスポンジがいろいろなことを吸収したがる。様々な物事に関心を持ち、体験したくなる。高校の新しい教科書に向かいつつも、教科書には載っていないことを知りたくなる。高校一年生のころの作者の歌、部活動の三味線や友達関係を前向きに楽しむ姿勢に、爽やかなエネルギーを感じてきた読者は多いだろう。
三味線を味わい、お菓子に恋し、青春真っ盛りです、とハートマークで歌っていた、かわいい彼女が、高校二年生になった。そして、欠詠が二ヶ月、続いた。
「忙しい」とは、心を亡くすと書く。作者の中に、何かが揺らぎ、つかみきれないものが、この欠詠の間、生まれていたのではないだろうか。花をきれいだと思っても、自分の心に一番しっくりくる言葉が見付からない・・・その言葉を、心を、作者は捜していたのではないだろうか? 私には、そういうことがよくあるので、つい、
重ねてしまう。
作者は、つかみにくい、はじけたものを一つ一つ丁寧に拾い上げた。それを歌いつないだものが、「五月の青い空」となり、作者の新しいまばゆさの表現となったのであろう。少女のあどけなさから、大人に向かう階段を一歩一歩のぼり始め、時々、後ろを振り返りながらも、笑顔で前を向く作者の姿がうかがわれる。
    * * *
一日は二十四時間、一週間は七日、物理的時間は変わらない。青春の課題は、物理的時間と心理的時間の折り合いをつけて、自分を見つめることである。そして、自分のこれからの生き方、「自分」を表現する方法を模索していくのだ。
・・・いや、これは、「青春」時代だけの課題ではない。「青春期以降」の人間の課題であろう。「五月の青い空」を読むとき、読者の心に、共通して、妙に響くものがあるのではないだろうか? 自分の生き方、表現の仕方は、だれもが抱えている人生のテーマである。そこに響きはしないか?
この人生のテーマに向き始めた作者の姿が、「五月の青い空」には浮かび上がっている。高校二年生という年代・作者独自の初々しい模索の姿が、浮かび上がる。そして、二十歳をとうに過ぎた大人の心に、訴えかけてはこないだろうか?
私は、自分自身に問いかける。「今、私は、自分らしく生きているだろうか?」「自分として、生きているだろうか?」「ねえ、これでいいの?」「これで大丈夫かな・・・」
自信を持って歩いている大人なんて、きっといない。いるとしたら、それは「自信」ではなく、「過信」であろう。煩雑な現代では、「過信」は幸せかも知れないが、私は、悩んでも傷ついても、自分を追求する生き方をしたい。それが、自分の存在の証明だと思う。私のそういう部分を、作者の素直さは刺激する。私は青い空を探しているのかも知れない。作者に見えた「空の青さ」がうらやましく、まぶしい。
 * * *
作者が「五月の青い空」を作り始めたのは、ゴールデン・ウイークの前である。進路について考える歌がぽつりぽつり出てくる。
 ・辛いとき自分にそっと言ってみる今やらないでいつ頑張るの
 ・大学のパンフレットを目の前にたくさん並べてため息をつく
 ・寝る前の10分間だけ考える私は将来何になりたい?
 「なっちゃん、あなたにため息なんて似合わないよ」
会ったことがない作者に言いたくなる。そんな言葉を引き出してしまうような、思わず応援したくなるような、けなげで真面目な少女像が、歌に表れている。そう、この歌い口が、作者の最大の魅力なのである。素直な気持ちを、素直なままに三十一文字に表現する。まわりくどくない、ゆがみのないガラスのような透明さ。これが、歌人・小澤なつ樹の短歌の味わいの一つなのである。
  ***
 高校に入学すると一年生の一学期であっても、模擬試験では志望大学を書く。高校二年生になれば、学校側からプリントを渡され、具体的に志望大学を書いてくるように、とか、自分の適性を考えて将来希望する職業について考えなさい、とか、指導が強まってくる。
 私の経験や本音から言えば、少し早い。世の中にはたくさんの仕事がある。どういう仕事がどれくらいあるのかなんて、社会人の私もよく分からない。職業を決めなさいなんて言われても、時間がもっと欲しいはずだ。高校二年生になりたての頃というのは、分野ごとに勉強の特徴が際立ってきたことにやっと気付き、自分の特に好きな科目や領域が、ようやく見えてくるころではないだろうか?
私の場合、心理学を専攻することを決めたのは、大学の二次試験の入試直前であった。それまでは、語学に興味があり、通訳や翻訳の仕事をしてみたいとぼんやり思っていた。心理学は、高校の科目にはない。私にとって、心理学との出会いは運命的なものであった。私は大学に入ってから心理学を詳しく知り、収入を得る仕事にまでしてしまった・・運命としか思えない(ただし、これはあくまで私の場合の幸運である。急な進路変更は、他人にはお勧めできない)。
作者もきっと、運命的な何かに引き寄せられるのではないだろうか? それまでは、毎日、じっくりじっくり、自分の心と向き合ってほしい。そして、自分のまわりの人たち、世界を見つめてほしい。・・・これは、私が、現在も、私自身に対して持っている気持でもある。一応の職業に就き、自立したように周囲からは見えるだろうが、私自身、振り返れば、過ぎ行く日々に、自分を見失いそうになることは少なくなかった。「ねえ、私は今、どうしてる?」「落ち着いて。目を見開いて」私はよく思うのだ。
職業を持ったからいいというわけではないのである。それはあくまでも、人生のターニング・ポイントに過ぎない。人は日々生きて、一日一日変化していく。昨日の私と今日の私は異なる。自分の心の声に耳を傾けないと、心は壊れてしまう。危うい私の心の扉を、進路に悩む作者の歌は、トントン・・・と叩く。人は皆、道を進んでいる。年齢を重ねても、障害を持ったとしても、人生という道を「自分」として歩いている。
    * * *
作者の歌は、とても素直に率直に、トントン・・・と私の心の扉を叩くので、私の心の奥底に消えてしまったはずの、いや、消えてしまったほうが幸せかも知れない、そんな部分が動き出す。そのとき、意外にも、私をとりまく人々の表情・優しさ・温もりが、風の匂い・空や花のいろが、電車の走る音・雑踏の向こうに見える景色が、鼓動を伴い、波打って、私に迫ってくる。様々な人々を含む世界との相互関係の中に自分が息づいていることを確認する。あらためて、世界への愛と、世界からの愛の中で生かされている自分を感じる。肩に力が入りすぎだと、自分の胸をなでおろす。無感動や無関心に生きる人生の処世術など、身に付けなくていいと、安心する。
そして、作者の歌にはっとさせられる。作者は気付いているだろうか? 自分が家族を始めとする周囲の人々や世界をとても愛していること、また、愛されているということに。愛し合い、大事にし合う暖かさに。特に、人との関係、である。自分が愛する人たちに、作者は素直に「愛している」と詠っている。家族や友達を愛している作者の歌は優しさにあふれている。とても素敵な笑顔をして人々に向き合っていると想像させられる。「愛している」ものを「愛している」と詠える能力は素敵である。
  * * *
「肯定」と「受容」という、作者の歌のさらなる魅力を痛感する。嫌悪や否定などという感情は詠わない。人間だから、そういう気持ちを持つのが当然とは思うが、「愛している」「大好き」「とっても素敵」こんな肯定・受容の姿勢が、作者の中では勝っている。そちらを表現したいという欲求がとても強い。自分のことも、にっこり受け止め、歌にする。作者の歌は、読者を幸せにする。固く乾燥しがちな現代人の心に、潤いを与えるのである。
 ・お団子がいいかそれともおまんじゅう? 3時のおやつに悩む  祖母、孫
 ・母が昔作ったロングスカートにブーツを合わせお出かけ気分
 ・プリクラに落書きをした言葉通りクラス替わっても我らは友達
 ・十代のにきびはチャームポイントよ鏡の前でにっこり笑う
 ・いつもより少し背伸びをして買った色つきリップを机にしまう
 色つきリップをつけた自分の顔は、どんなふうに見えたのだろうか? 「背伸び」したと詠んでいるように、少し不自然に感じたのだろうか? 「ねえ、どの色がいいかなあ」と、友達ときゃあきゃあ言い合い、一本に決める瞬間と、色つきリップをつけた自分の顔をひとり鏡に映したときの感情を、作者にはぜひ忘れないでいてもらいたい。
男性には分からないだろう。大人になっても、女性は、口紅の色や香水を選ぶとき、非常にときめくのだということを。初めての色をゆっくりゆっくり唇にぬるときの、わきあがるような喜びと驚きを。また、口紅を落とすとき、自分の本来の唇の色に戻ってほっとする瞬間を。女性ならではの、楽しみなのである。作者が机にしまった色つきリップは、活躍の回数はまだ少ないかも知れないが、彼女のこれからの日々に新しい色を投げかけていくことであろう。
    * * *
 ・おじいちゃん小さい頃からたくさんの大切なこと教えてくれたね
ここから、お祖父様の死に関した歌が並んでいる。お祖父様のことが、とても好きだったのだなと、胸がきゅんとなる。大好きな家族の死について、素直にストレートに悲しいと歌う作者の素敵さを、強烈に実感させられる。悲しさを胸に、でも、とても愛してくれたお祖父様の思い出を胸に、作者は歩き続ける。
 ・あの日から祖父の時間は止まってて私の時間は動き続ける
 動き続ける時間を、作者は、笑顔で過ごしていく。まわりの人たちを肯定し、「愛してるよ」「大好きだよ」と詠い続ける。作者が愛を発する中で、希望が未来に開いていくのが分かる。何よりも、未来ではなく、いま現在の幸せを味わおうとする作者の輪郭がはっきりしてくる。希望とは、現在の生き方に含まれているものなのだ。
 ・友達とジュースをかけたテストのため机に向かう時間が増える
 ・ライバルがいれば何でも頑張れる希望を持って生きていきたい
 ・高校でサッカー一筋燃えているいとこの姿ちょっと眩しい
 ・おばあちゃんの煮物の味を私でもいつか作れるようになるかな
 ・線香を供える事が新しい私の習慣心が落ち着く
 ・小さくてもしっかり光るあの星は謙虚で頑固なおじいちゃんかな
 ・休日は家族でフリーマーケット経済的で地球に優しい
    * * *
 後半には、テスト勉強に励む日々が詠まれている。このころには、もう彼女は、ステップを踏んだのではないだろうかと思う。懐かしくもかわいい、新しい、「なつ樹節」が展開する。
 ・この気持ち孟浩然が言い当てた春の眠りは心地よいもの
 ・席替えで一番前の席になる景色が変わり気持ちも新鮮
 ・お風呂でもトイレに行っても英単語、重要語句を唱え続ける
 ・大好きな曲を一回聴いてからさぁて今夜も頑張ろうかな
 ・テスト後にたくさんご褒美用意して壁に貼り出し机に向かう
 ・テスト前先生たちも大変で授業の合間の笑顔が消える
 ・授業中テスト範囲が終らぬと悲しげに言う若い先生
 何事もその人の認知次第で世界の輝きが変わる。逆境の中にも輝く部分を見出す精神の健康さが、表現されている。先生、がんばって! 彼女があなたを心配しています! と私まで愛情深くなり、先生を勇気付けたくなってしまう。作者の歌を読むときの私を、私自身が好きになってしまう。それが、作者の歌の力によるものであることは言うまでもない。
    ***
 ・長かったテストが終わり目に入る五月の空の鮮やかな色
 灰色の空が、本来の空の色でないことに、作者は気付き、自分の大好きな空の顔をまた見つめ始めた。いや、はっきりしない灰色の空でも、多分、彼女は好き、と今なら言えるのではないだろうか? 大きな星にならない小さな星屑も愛している自分を、「おとなに近づく」という少し変化した形で取り戻した。
 空で始まり、空で終る作品「五月の青い空」。青春という名前の階段を一歩一歩踏みしめて歩いていく若い作者の透明感がゆったりと作品の根底に流れている。透明な向こうからは、「みんな、大好き。私の日々、私のまわりの人たち、とても大切だよ!」そういうメッセージが聞こえてくる。
私も言おう。にっこり笑って、大好きだよ、大切だよと。そして、心いっぱい、抱きしめたい。私の世界を。私の人生を。きっと見える、映えていく、私だけの、あなただけの青い空が。ほかの人とは違う「青」がきっと、光る。

≲付記≳
  明日には誰かを好きになれるかな布団の中で静かに想う
 恋はしたいと思ってするものではない。
作者ならば、いつか気付くだろう。
「あ。これは恋だったの?」「これって恋かも知れない?」。初恋は秘め事であるから、作者は詠んでも発表しないかも知れないが、初恋のせつなさに驚き、制服のボタンが見えただけで胸が締め付けられ、でも幸せを感じている、恋する作者の姿を私は楽しく想像する。何度しても、恋に慣れるということはない。大人になっても、恋をするときには、いつだって精一杯の初恋だということも、作者ならきっといつか分かるような気がする。




最近いろいろなことが重なり、かなり忙しいが、古い誌面などを見る必要もあって、様々な感慨にふける。
ずいぶん多くの方が去って行ったなあ、という驚き。これは退会には違いないが、高齢等で退会せざるを得なかった場合、お亡くなりになり名の見えなくなった場合が多い。十年経つと、これほど変わってしまうのだ。一生なんて瞬きの間だ。
歌を作っている今、作ることが出来る今を大切にしよう。
歌を作っているということは、頑張って生きているということだから。

by t-ooyama | 2016-06-17 08:19 | Comments(0)

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