手書きからmailへ

十月号の選歌を締めて昨日午後に平塚へ投函した。
欠詠の方が今月もいらっしゃる。前にも書いたが一度休むと再投稿には尋常でない勇気が要る事になる。
五年近くそのタイミングが来ず、今年復活した方もある程だ。
Aさんも、あっという間に半年間の休みとなる。今月は、そのAさんを案ずる歌を出してきた方もついに出た。電話でご様子をうかがったら「声には力があった」というような作品だった。こうして案じて下さる方があるというのは有難い事と思い、うっとうしい等と思わないで欲しいものだ。
二か月欠詠のFさん。こちらについても「Fさんの歌を探したが見当たらない」という作品を作って来られた方があった。有難い事だ。わたくしはその事を書いて、Fさんに葉書を出した。いつものようにご病気なら治療に専念して下さい、お忘れなら今度はお願いします、って葉書。
何かの間違いから、先月と全く同じ一連の歌を出して来られたTさんには、その旨を告げて再投稿をお願いする。これは、到着次第わたくしがテキスト化することになる。

今月は川又さんの追悼号となるので、その関連の文章もたくさん来ている。手書きもかなり有る。わたくしも忙しいので、開封するとその場で歌の稿、通常文章の稿、追悼号の稿と分類する。そして優先順に原稿を纏めてゆく。今月は最後に追悼号用の稿を読んだ。すると参った事に一通筆者名がないものが有った。これは参った〜うーん。どなたの字だろうか。その原稿用紙を見ながら途方に暮れた。
ふと見ると、これら原稿の束の中に便箋に書かれた私信が紛れていた。そこには追悼文を送るのでお願いします、とあった。そのお名前のIさんの原稿が無いので、あっこれがIさんに違いないと思った。便箋の文字と原稿用紙の文字にはちょっと目には「差」があるようだが、崩した感じの便箋文字と、楷書に徹して書いた原稿用紙の文字は「違う」のだろうって判断した。
うっかりすると、こういう名無しの権兵衛原稿って結構多い。普通は開封時に忘れずにチェックするのがが、今回はうっかり忘れた。それが、この顛末である。怖いなあって思う。

高知の松中さんから電話が入る。突然入院する事になって追悼文を出すゆとりが無かった、でもどうしても書きたいのでmailで送りたい、でも自分は得意じゃないので娘に頼んだので、その出し方を教えて欲しい、とう事だった。それは大変な中を有難うございます。川又さんも喜ばれるでしょう。と伝え、娘さんと電話を代わる。添付するのも面倒だから、本文にペーストして下さいと教える。
短い追悼文だけど、心のこもったものだった。
娘さんの話だと、ときどきこのHPをご覧になり、情報をお母様に伝えているようであった。こうした方が御家族にいらっしゃれば、このHPの活用が一層進む事になる。
みどり様、これからもどうぞよろしく。

さて、今月は郵送する時間的ゆとりが無くなったのでmailで送ります、という投稿の永野さん。
毎月これでも良い。手書き投稿よりも、mail投稿の方が歓迎だ。
手書きだと、郵送するということでポストまで入れに行ったり、その回収時間も気にしたりで、結構負荷がある。そして手書きは、そのまま組版に使えないので、デジタル文書化せねばならず、その段階での「誤植」リスクもある。今月に限ってじゃなくて、毎月どうぞって思う。
大先輩の穂積さんも最近はmail投稿だ。有難い。

吉田さんのところでは、お嫁さんの「さよこ」さんが、姑さんの「あやこ」さんの作品を毎月Wordで打って送信してくれる。とても仲の良い「嫁姑」で、お二人とも抜きん出た才能の歌詠みでもある。ただし、その作品世界は全く違う。

松中さんの歌の投稿も、娘さんが代理で打ってのmail投稿にされると良いかもしれませんね。
こうした作業に中で、お二人の関係がより一層深まります。
そして冬雷も「有難い」訳ですからね。
松中さんの歌では、月見草を歌ったものが印象的でした。
それは木島先生の月見草で、太宰治の月見草じゃありません。
白い四弁のきよらかな花の月見草。
それをきちんと「月見草」って歌っていた松中さんをすぐに信頼しました。
良い歌を作る方ですよ。
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by t-ooyama | 2016-08-20 00:28 | Comments(0)

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