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不良本

『川又幸子歌集』は好評のようで、各方面から反響がある。もしご存命ならば、さぞお喜びだったろうと思うと切ないものもある。
先日は国会図書館から電話が入ったので何かと思ったら、「川又幸子」はどう読むのか? という問い合わせだった。「かわまたさちこ」です、とお答えした。図書館の方も、こういう確認もあるのだと思い大変な業務だなあとあらためて思った。国会図書館にはあらゆる出版物を送らねばならないという法があって、冬雷も創刊よりずっと関連刊行物の寄贈をしている。冬雷54年分は総て年ごとに合本されて見事に管理されているのだろうと想像される。高田さんの話では、他の本所図書館や芭蕉記念館等でも、冬雷はきちんと合本整理されていると言う。有難いことである。
まあ、いわゆる評判とは違う話であった。

川又さんもおつきあいの広い方であったので封書による懇切なる礼状も来る。
中には、まだ健在であるかと思っているフシの方もあり、『遺歌集』としなかったのがまずかったかも知れないと反省もちらりであった(意識的に「遺歌集」を避けたのだが)。中を開けば、奥付にも「著者・川又幸子」は略してあるし、住所も出ていないし、冬雷にも出ていないのだから、判ると思うが、歌壇の皆様はやはりご多忙の中で活動していらっしゃるのが日常なので、「とりあえず礼状を」というものだったのだろう。わたくしでもやりそうな間違いなので、身につまされる。

そんな中で、高知の松中さんから不良本が届いたという連絡もあった。
大切な川又先生のご本なのに、こんな状態なのは残念なので……という申し訳なさそうなご様子。早速に交換させて頂いたが、不良本とは、本文と表紙+カバーが天地逆になっているものであった。外観の目視では分からない。開いてアッというものである。
製本時に一部だけ逆に丁合カセットに入れてしまったのだろう。稀には有ることだ。こういう不良を考慮して、製本所からは、「予備分」として20部程度余計に納品されて来る。何かあったらゴメンナサイ、という意味である。
ということでご容赦有れ。
これは一種の「乱丁本」なのかもしれないが、思い出すのは50年程前の佐藤佐太郎歌集『冬木』である。
わたくしがいつものように森下の発行所へ行くと、木島先生が「佐藤さんから新歌集が届いたよ」って『冬木』を見せてくれた。扉に署名入りの立派な本である。
中をぱらぱらと見ると、どうも妙な感じがする。
「ページがバラバラだろう」って先生は言う。
どうも製本時の丁合不良でページが通っていないようだった。「乱丁」本であった。
「頂いたものだしね。これも逆に価値が出るよね」って先生は微笑んだ。

後日、冬雷の若手の一杯飲む集いで、
「佐藤佐太郎の冬木は乱丁本だったよ」って話したら、側に居た穂積靖夫さん(現在の穂積千代さんのご主人)がエッと驚いた。
「佐太郎に乱調って、どんな?」と言う。
穂積さんは「乱丁」を「乱調」と取り違えた。

懐かしい思い出だ。

松中さんのお陰で、若い日々の記憶を呼び戻した。
希望はあったけれども、毎日が切なく辛い日々でもあった。

その『冬木』だが、今年の始め、川又さんが豊洲の家を引き払うとき、最後の整理に伺い書棚から頂戴して来た。それが下のものです。

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川又さんも大切にされたのだろう。五十年経過したのに身近の書棚に置いておかれた。
本には栞が挟まり、そこを開くと、

憂ひなくわが日々はあれ紅梅の花すぎてよりふ
たたび冬木


という昭和四十年作歌の高名な一首があった。
この歌が歌集名の由来である。

豊洲の川又さん。豊洲の冬雷。
川又さん亡き後も冬雷は豊洲での月例会を行っている。毎月高田さんと森藤さんがお二人で会場を確保して下さっている。有難いことだ。
実はこの会場が縁で、お一人の新入会があった。
その方は豊洲の川又さんの生まれ変わりのような「幸子」を名乗るのだ。
わたくしは豊洲の新「幸子」さんに不思議なものを感じている。
順調に伸びて、十年後の冬雷を牽引するような存在になってほしいものだ。

今日はこのあたりで。

by t-ooyama | 2016-11-15 13:30 | Comments(0)

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