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難しい

校正と校閲は違うものである。
わたくしたちスタッフは校正はするが校閲まではしない。しないようにしている。ここまでやっちゃうと、とてもじゃないが時間が幾らあっても足りない。
基本的に作者の仰有ることを信じてその原稿に忠実に突き合わせる校正をする。
でも、今号の下版作業中に差別用語として控えたい一語に遭遇した。「痴呆症」である。これは今では「認知症」って云うのが一般的なので、急遽訂正した。
差別用語というのは、要するに、言葉に出す人が差別する意識を持って発言する言葉である。そう言う意識が無いのなら差別語じゃないと思うが、でも見たり聞いたりして、その語に関わって「心に傷」を受けてしまうような人が居るなら差別用語になる、というのも理解出来る。だから気をつけて、言葉を選んでいる。
「土人」という語を、明らかに差別、蔑視する意図を持って発言しているのに、それを「差別用語」だと思わないと言う大物政治家が居たという呆れたニュースが最近あった。悲しいことである。
こういう感覚・意識の政治家が寄り集まって「駆け付け警護」などと名づけて自衛隊を戦地へ送ろうとしている訳だ。怖い話である。

さて、選歌などしていると、しょっちゅう辞書を調べることになる。難しい新語、専門語、最新ニュース、こんな花があるのだろうかっていうことなども、判る範囲では調べなきゃならない。なにしろ調査範囲が広いので、昔のように『広辞苑』一つがあれば大丈夫ってならない。選者もネットやスマホを座右にしないと業務にならない時代である。

それは別として『広辞苑』を見て居ると、いろいろ考えさせられることがある。

「向ふ」(ある方向にむき合う意味)。「向う」 (場所としてのあっち側を意味する)
「小さき」(ちいさき)だが、これは「小き」(ちさき)となる。
「雨上がり」は、雨があがったという動詞を意味する時。名詞としての場合は「雨上り」で「が」を省く。
「暮らし」と書く時は、たぶん動詞として使う時だろう。名詞は「暮し」となるのだと思う。「ら」が省かれる。
「過ぎる」(すぎる)の「ぎ」を除くと「過る」(よぎる)と使われる。同じように、
「過ごす」(すごす)の「ご」を除き去ると「過す」(すぐす)となるのである。

昔はこんなふうに送り仮名を書き分けることで、それを如何に訓ずるのかを明らかにしていた。すごい決まり事があったのであろう。
現代では、特に根拠がなさそうなのにやたらに送り仮名を多く振る。わたくしなどには逆に読み難い。
「気持」という名詞が「気持ち」となるのが一般的になりつつある。
冬雷では、ここは踏ん張って「気持」で統一しようと頑張っている。
他は「吾・我」を「吾れ・我れ」、「老」を「老い」とすることなどは作者の好みとしている。
そこまで統一するなどは一短歌結社の校正担当の判断で出来る話じゃない。

音便の形と云う厄介なものもある。

「思うて」は「ウ音便」である。
旧仮名で「思ふて」と書くような場合は、元は「思ひて」の連用形が促音の「思つて」(旧仮名では小さい「つ」は使わない)と言うような時に「ウ」の音に転じて「思うて」と変化したものである。話し言葉としての変化なので音便と言う。文法的には「思ふ」のハ行の活用形がワ行の活用へ変化して「ウ」が生まれて来たものだ。
ややこしいけどそうなるのである。

「喰ふて」→「喰うて」。「問ふて」→「問うて」。「負ふて」→「負うて」。「沿ふて」→「沿うて」。「乞ふて」→「乞うて」。「厭ふて」→「厭うて」。

以上もみな「ウ音便」である。
これも先月の作品欄の校正の時に気がついたことなどだ。

旧仮名表記とはいえ、新仮名めいた「う」を使うのが面白いところ。難しいところ? である。

by t-ooyama | 2016-11-16 18:50 | Comments(0)

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