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慈光寺と梅捥ぎ

昨年暮れから考えていた慈光寺の土屋文明のお墓を訪ねることが実現する。
一度は四月の花の時期に計画したが、皆様の予定が合わずキャンセル。今回が二度目の計画となった。
皆様とは、いつも冬雷発行に力をかして下さる小林さん、桜井さん、森藤さんと、赤羽さんである。わたくしを含めて五名だが、たった五名でも全員問題なしにはなかなかならない。
特に今回は、川又さんのことがあった直後だし、皆様予定が詰まっているだろうと思った。
慈光寺は必ず行っておかねばならない場所だ。わたくし自身も、このところずっと文明に関わる文章などを書いているので、そのことなどを文明先生にお伝えせねばならない。
そんななかで、どんどん日が経っていった。そのうちに慈光寺に行くなら、何か他の行楽も兼ねての方が良いかも知れないと思うようになった。

小林さんや桜井さんが、川越にいらっしゃる度に、いつか梅捥ぎをしたよねって、懐かしそうだったので、会員の小川さんが毛呂山で梅も栽培されていることを思い出し、「どんなものですか」って、お尋ねした。
今年は例年より実の成長が早くて、六月になったら直にでも収穫ですという話。これには驚いた。六月半ばかなって踏んでいたのだ。じゃ、急がねばって焦った。
小川さんに事情をお話しし、折り返し、皆様のご予定を確認した。
その結果、三日の金曜日が皆様フリーとのこと。実のところ、この金曜日は、七月号の校正の予定日としてお考えの方が多かったのであろう。編集室の予定では、校正は来週となる。

ということで、三日の金曜日には慈光寺へ行くことが決定した。
大雑把な時間だが、
午前11時30分には慈光寺に居るだろう。
約2時間で文明先生のお墓と、慈光寺周辺を歩く。
2時30分頃に毛呂山着。
即刻、新鮮な梅を収穫する。
毛呂山では、お近くにお住まいの本山さんが合流されるかも知れない。
栗原さんも齢97歳でご健在で、日々リハビリ中とのこと、冬雷との縁の浅からぬところである。
元会員のお一人、小室とめ子様は、この16日に99歳でお亡くなりになったとのこと。
もう少し早くこうした計画が実行されていれば、御一緒にお話などもできたのに、残念である。

毛呂山発は5時の予定。
タイトな計画だけれども、動けるうちにいろいろ動いておくのが良いと考えている。
じゃ、三日に。
皆様、宜しくお願い致します。
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by t-ooyama | 2016-05-31 12:10

ユリノキ

桜井さんが「WEB冬雷」に書かれているユリノキの話。

    五月末となれるに冷ゆるくもり日の街路朝はやき百合の樹の花         往還集より

 文明は「百合の樹」としている。広辞苑は「百合樹」とあり、インターネットで調べると「ユリノキ」「百合の樹」「百合の木」「ユリの木」「ゆりの木」といろいろある。今回私は、「ゆりの木」と表記してみたがどうだったろうか。歌は提出してしまったが、またゆっくり考えてみようと思う。
    
                
について、ちょっと考えた。実はわたくしにも多くのユリノキの歌がある。この記述に関わるかも知れないので、それを振り返る。歌集『なほ走るべし』に納められた次の一連は、まさに、

文明は「百合の樹」としている。広辞苑は「百合樹」とあり、インターネットで調べると「ユリノキ」「百合の樹」「百合の木」「ユリの木」「ゆりの木」といろいろある。
  
の、いろいろある表記の仕方でユリノキをたくさん歌ったのである。 つぎの一連である。  
               
  ユリノキ
ゆりの木など何処にでもあると粂吉は言ひしかど未だその花を見ず
賜れる百合樹の絵葉書見て何で百合なのかますます吾は解らず
百合の花に似ると思はねど百合の木の名を頂きて巨木にもなる
先までゆりのきと信じゐし花がエンジェルトランペットと知りぬ
木の下に長ベンチ置く記憶のみありて花を見ず上野のユリノキ
この花の木陰に本を読んでゐる吾を想像するのは難し
チューリップノキ、 ハンテンボクの名も持つらし上野博物館前のユリノキ
落葉樹ユリの木にしてもみぢ葉は如何なものか風評聞かず
学名を知らねどユリの木チューリップの木の名を持てば吾に異性の如し


ここには「ゆりの木」「百合樹」「百合の木」「ゆりのき」「ユリノキ」「ユリの木」六種の書き方を試みている。桜井さんがお調べになった「広辞苑」の「百合の樹」は使い損ねたが、文明の「百合樹」は二首目に使った。桜井さんが最新作にお使いになった「ゆりの木」も使っている。わたくしの一連には「ユリノキ」と「ユリの木」が二つあるので、どちらかに「百合の樹」を使っておけば良かったなあと今は思う。いろいろな表記があることを認識した上で、それらをいろいろ使ってみようと考えた表現上の遊びである。

このときは実際にその花を見ていないのであるが、今は発行所の近くに見事な木があることを知って、その花を冬雷の校正担当女流らと眺めた。その結果、小林さんも桜井さんも森藤さんも、この花の歌を七月号用に作られて競詠の形となっている。実はわたくしも久々の「ユリノキ」の一連を出す予定である。想像で歌った花と、現実に見た花の歌の違いは微妙である。桜井さんの書き込みによって、あらためてこの古い作品を見直したが、やはり少し違った歌になっているのが分かった。一言でいえば、今回は写実が基本になっているようである。当然七月号に出るわたくしの歌の方が、『なほ走るべし』所収の歌より上等だと信じるが、一首だけ最後の作品が、かなり似通った抒情となっている。やはり「花」は皆「をみな」ですよねって感じである。
さて、七月号は、四人四様となるが、みなさん「楽しそう」という点が一致する。

掲載後に読後感など頂戴出来ますれば幸いである。
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by t-ooyama | 2016-05-28 23:10

また失敗。お詫びです。

平塚の関口大兄より連絡が入り、前月号で間違いが判明しました。
作品欄下の写真が、五分の二更新エラーです。
具体的には「作品二欄下・作品三欄下」の二枚です。
これは、毎月先号の誌面を新規保存にして、内容を配置交換しておりますが、その時に、写真の交換を落したことによる間違いであります。運悪く校正にても気がつかず、通ってしまいました。
写真提供の関口大兄にはもとより、会員の皆様、すべての読者の皆様にも衷心よりお詫びします。
関口大兄は、七月号として、これから霧島〜知覧のほうへ取材旅行とのことです。それをつかわないわけにはまいりませんので、掲載漏れとなった写真は、七月号誌面、作品欄以外のところで使わせて頂き、折角の取り下ろし作品をムダにせぬように致します。
本当に申し訳ありません。

とりあえず、下のその写真をアップ致します。
どこに使うかは、これから考えます。

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浄智寺  棟門

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浄智寺  布袋尊

となります。
このところエラーが続いており、歳のせいですなんて言ってばかりも居られませんね。
どこかで、無理が押し寄せているのかもしれません。
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by t-ooyama | 2016-05-28 21:41

告別式

冬雷前発行人、選者の川又幸子さんの告別式が、昨日滞りなく執り行なわれました。
川又幸子から「幸寿妙徳信女」になり、旅立たれました。

お通夜の前には納棺の儀式にも立ち会わせて頂きました。高田さん、小林さん、近藤さん、大塚さん、森藤さん、黒田さん、松本さんらと一緒に、旅立ちの足袋や脚絆の紐をがっちり結ぶこともお手伝いし、三途の川を渡る為の「六文銭」も、真っ白な頭陀袋にみなさんと協力して一つずつ入れました。その間、すっかり美しく化粧された川又さんに、お別れの挨拶をさせてもらいました。

お通夜と告別式には、冬雷大会同様にほぼ同数の会員の皆様が駆け付けて下さり、冬雷色一色によるお別れとなりました。
川又さんの柩は花であふれる程でした。25名程が桐谷斎場で「御骨」をひろわせて頂きました。
95歳とは思われないしっかりした骨が印象的でした。
喪主がご位牌、施主がご遺影、そしてわたくしが御骨壺を抱きかかえつつ、江東区枝川へ戻りました。
十四時半頃より、故人を囲む最後の食事が、施主の高田光さんの挨拶で始まりました。遠方より、駆け付けて下さった澤木洋子さん、兼目久さん、有泉泰子さん、大久保修司さんらのお顔を見えます。皆様、本当に有り難うございました。川又さんも、お喜びのことでしょう。

わたくしは、花で埋まった川又さんの前で、弔辞を読ませて頂きました。以下に、それを配置します。
冬雷の皆様、どうぞ御一緒に、川又幸子さんのご冥福を御祈り願います。
合掌。

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by t-ooyama | 2016-05-25 10:01

ああ、川又幸子さん

冬雷前発行人、選者の川又幸子さんが、ほぼ老衰のような形(心不全です)で突然他界されました。
齢九十五というご高齢の独り暮らしの事情を鑑み、昨年末に正式に発行所を川越に移し、約半年が過ぎています。永年の重責を解かれて、いよいよ純粋に自分の為だけに時間を使える環境になっておりました。これからの作品世界がどのように展開するのか、楽しみにしておりましたが、あっという間に身を隠されてしまいました。九十五歳と言えば天寿を全うしたと言っても良い年かさですが、川又さんにとっては「早すぎる死」となりました。

昨夜はそのお通夜でした。
約四十五名の冬雷関係の方が駆け付けました。
祭壇は、後見人の高田さんが骨を折ってやりくりした豪華で見事なものでした。
十年は若返った川又さんが中央で笑っています。
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きょうは午前十時半より告別式です。
僭越乍ら、大山が会員を代表して「弔辞」を担当致します。
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by t-ooyama | 2016-05-24 00:27

『怯むことなく』出来本

暑いですね。
もう夏です。

今日は大滝さんの『怯むことなく』が納品されました。
ずっしり段ボール五個です。
早速開いて「納本」分を見ました。
イメージ通りの出来ばえで、今回もローヤル企画さんに感謝です。
編集室はたちまち埋まってしまいますが、ひとつ開いた現状です。
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暫くすると六月号が段ボール三つで入ります。
それを待ってから発送になりますね。
来週かな。
少しお待ち下さい。

いつも、わたくしがゴロゴロしている場所なので、愛する「わく子」も写っています。
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by t-ooyama | 2016-05-13 15:24

歌集『駅』をいりの舎さんに入れる

今日は桜井さんの第三歌集『駅』の原稿を「いりの舎」さんに入れました。
いりの舎さんは、元「短歌現代」編集長の玉城入野さんが「短歌新聞」幕引きの後に設立した短歌総合誌「うた新聞」の発行元です。「うた新聞」はタブロイド判の月刊紙で、前「短歌新聞」のパターンをほぼ踏襲しています。五年目を迎え50号を積み重ねています。
「うた新聞」には桜井さんもしばしば作品等を発表し、関係浅からぬものがあり、新歌集もお願いすることになりました。でもお会いするのは初めてなので、今回はわたくしも同行し、ご挨拶させて頂きました。
「いりの舎」さんの最寄りの駅「下北沢」改札前で待ち合わせです。同駅は、京王帝都電鉄井の頭線と、小田急線の二つが乗り入れている活発なところです。駅そのものは大改修中で、古い時代の私鉄駅前から、新時代の立体交差駅への切り替えが行われようとしています。下は昭和の面影の残る現在の駅前です。
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駅を二つ程移動すると、わたくしが小三まで過ごした「明大前」だし、小田急線をさらに二つ程行くと、冬雷の先輩碓井英一氏お住まいの「梅が丘」です。懐かしい所です。
歌集『駅』あとがきには 〈生活に密着した場所である「駅」は様々な表情を見せてくれます。電車や列車が発着し絶えず人の動きがあり、現代社会の一端を見ることができます。私にとっては行動範囲を広げられる場所でもあり、駅の雑踏の中で自然に気持が前向きになります〉とありました。桜井さんは、この下北沢駅からどんなパワーを吸収したのでしょうか。

時間ピッタリに「いりの舎」さんが見えてご挨拶。
続いて近くのゆったりスペースのある喫茶店に行って席に着きます。ここはいつもビジネスで使う場所のようでした。
玉城入野社長は、以前わたくしが「コムデギャルソンの似合いそうなカッコいい人」というようなブログを書いたことのある人で、少し貫禄を増して、父上の醸し出していた渋さも入り交じり存在感がありました。ほとんど口を開かず、話は伴った三原由起子女史に任せっきりも重々しいです。
三原女史は三十路くらいの眼がきらきらの活発感の方でした。
話はすぐに纏まりました。細部は桜井さんの義理の息子さんが装幀一切任されているとのことで簡単です。雑談を交え乍らでしたがリクエストに忠実に応えようとする誠意が一番伝わりました。
良い歌集が出来ることでしょう。

ということで、上福岡に戻って来ましたが、駅近くの小公園のユリの木はなお一層の花盛りで、見事でした。寂しいのは、公園に一杯来て遊んでいる子連れの人々が誰も花を見ようともしていないことでした。ユリの木は結構大きな樹です。美しい花をたくさん揺らし乍ら、憩いあそぶ人らを大きく見守っているっていう感じでした。
前と同じようだけれど、これは今日の美しいユリの木の花のひとつです。
何だかほっとする花ですね。

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ユリの木は高きにも低きにも花あまたひらきそのすべて吾はあふぎぬ
うすみどり淡き朱まじり開ききるユリの木の花のひとつ凝視す

即詠です。
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by t-ooyama | 2016-05-11 21:25

冬雷の紹介あり。本木氏に御礼

歌誌「長風」五月号「歌誌渉猟189」で、冬雷三月号の紹介を頂きました。
本木巧氏に御礼申します。
冬雷は寂しいことですが会員数が減少していて、その分だけ月々の雑誌が余ります。捨てるのも残念だし、刷り数を減らすこともしたくありません。そこで新発行所に移ってから、寄贈先リストの見直しをして、歌壇の力ある歌人のもとへ、一部でも多く送りたいと思い実行しましたが、こうして暖かい反応を頂くことは有難いことです。189回も続いている読み物なので、「長風」そのものの歴史を感じ、光栄なことと思います。

実はこの雑誌は豊洲の前発行所宛に届いていたものですが、川又さん不在の中を、高田さんが受けとってスキャンまでしてくれました。上手なスキャンで、文字がハッキリ読めます。
ここでは、それを使わせてもらい、皆様にも読んで頂きたく思いました。
次のような誌面です。
「長風」編集部にも御礼申します。

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by t-ooyama | 2016-05-10 18:07

永田町は閑散としていた

月例歌会がすんで電車組み、バス組み、徒歩組み、タクシー組みなどと別れて皆さん帰途につく。お迎え自動車組みの西谷さんは今月欠席だった。参加の会員の方は元気一杯が多い。例会会場はシビックセンター八階なのに、鼻歌を歌い乍ら、歩いて階段を降りるという方があらわれた。その方に影響受けたお二人が、今日は徒歩階段組みに加わったのも確認した。素晴しいことだ。
わたくしは勿論エレベーターを辛抱強く待った。

電車組みも、有楽町で降りる方がふたり。赤羽さんとわたくしとが最後に残った。
どこかでイッパイ呑みますか、ということになり、赤羽さんの乗換駅「永田町」で下車。厭な予感はあったがやはり日曜夜の「永田町」は閑散として、警備の警官がやたらに目立つ。彼等に怪しげな爺さん二人って睨まれ乍ら歩いたがどこにも飲み屋はない。
一件だけ開いていた「鰻屋」さんに入る。ふだんは政治家や官僚らが使う店なのか、解らないが、普段の居酒屋とは明らかに違う雰囲気で、気分も高揚した。

鰻だから、当然斎藤茂吉を話題にしつつ生ビールで乾杯。うまかった。
互いにお変わりし乍ら呑んで、冬雷の昔の話、今の話、未来の話などを出し合った。一番大事なのは未来の話だなあと思った。過去のことは、ひと先ず良いかなって気持がある。
最後にうな丼を頂いてお開き。
赤羽さんがお手洗いに行っている間、和服の女将?  と雑談。
今日みたいな日は人も少ないし、ほとんどだなたもいらっしゃいません、とのこと。
確かに、他に客があった物音も無かった。

貸し切り状態でのビールとうな丼は、格別の味であった。
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by t-ooyama | 2016-05-08 23:54

歌集『寒流』

今日は溜まっていた頂いた歌集のお礼をだした。
一日がかりの神経を使う時間を経験した。せっかく寄贈を受けた書物なので、心を尽して対応せねばならない、とは思いつつも、結構厳しい。取りかかっている冬雷六月号の方を中断してのことである。
今日は七冊の礼状を書いて投函して来た。
印象は前回も書いたこととあまり変わらない。忍耐強く頑張るときも幾度かあった。
収穫は山谷英雄さんの『寒流』であろう。「運河」運営委員。選者。
山谷さんとは二十代の頃に一度お会いしたことがある。「歩道」の青年歌人であった。
長澤一作氏が独立して「運河」を創刊した時に一緒に「歩道」を出たようである。わたくしなどは長澤氏が「歩道」の後継者であろうと踏んでいたので驚きであった。
その長澤氏もすでに故人である。

みどり児を見せあふ若き母らゐて診察前の時間がはづむ
入院のための検査に配送の荷のごとくゐてながしひと日は
経営に力つくしし一年に身はとりかへしのつかぬまで病む
日課ゆゑいでてくるらし庭芝に老人ぽつんぽつんと坐る
対岸のグループホームの窓々に老のあかりがおぼろにともる
引越の荷解きつつおそらくはひと世整理のつかぬいろいろ
いまもなほ死者あらはれて判別のつかねば記号に骨ならべ置く

いわゆる「佐太郎調」というものから抜け出てひとつの形を作り出している。
定年退職をして次の段階に生きておられる。無理をして来た躰は病気も出勝ち。労り乍ら新しい生活を維持し、前向きに志していかねばならない。
そういう気持が感じられる歌集であった。
「私は依然として、ただ先生ひとりだけの眼を畏れている」と長澤一作氏を偲んでいる。
こうした言葉も純粋で心を打つ。
山谷さんの今後も大いに注目したい。
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by t-ooyama | 2016-05-06 00:04