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12月号発送

日曜日でも受け付けてくれるのはクロネコDM便のありがたさ。
本日午後3時頃、12月号の発送を完了した。
いつもの方とは違う初めての担当ドライバーが訪れる。
玄関先で対応して下さっている事務局が「奥さん」なんて言われていた。
あれっ、この家にも「奥さん」が居たのだって思ったに違いない。

今日はいつものメンバーが都合悪く揃わず、桜井さんも都合悪く、急遽下の世代の中島さんに白羽の矢を立てた。快く手伝ってくれて助かった。

微笑みの女流、中島さんは、働き者であった。下の写真を御覧下さい。

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発送作業の後は雑談。
編集室パソコンを開き、新年号用の歌を入れたフォルダーを見せながら編集組版作業を説明する。
話題の方々の掲載前の作品を見せながらの作品解説もする。
特に作品三欄のブレイクあずささん、きすぎりくおさん、永野雅子さん、中村哲也さん、大沢幸子さんらについて語る。三人で大いに盛り上がる。

その後、来年の表紙画の「上野の桜」原画を披露。油絵の具の匂う華やかさ。わたくしがスキャンした絵は以下の具合です。印刷所での本格的スキャンと製版を経れば、きっとこの数倍の美しい絵となるだろう。

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Photoshopを使った作業も解説。
桜井美保子歌集『駅』のカラー表紙カバーを、印刷用のグレースケールのデータに加工する。以下です。

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組版作業は基本的にはコピーペーストである。
あらかじめ作製したデスクトップ上の誌面の割付け面へ貼付けてゆく。
貼付ける為のデータを「テキスト」とよび、貼付けられたデータを「ストリー」とよぶ。
新年号用テキストは現在鋭意制作中。

こんな組版作業も、次の世代へ指導して行きたいと思っている。

皆様、お疲れさま。
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by t-ooyama | 2016-11-27 19:58 | Comments(0)

難しい

校正と校閲は違うものである。
わたくしたちスタッフは校正はするが校閲まではしない。しないようにしている。ここまでやっちゃうと、とてもじゃないが時間が幾らあっても足りない。
基本的に作者の仰有ることを信じてその原稿に忠実に突き合わせる校正をする。
でも、今号の下版作業中に差別用語として控えたい一語に遭遇した。「痴呆症」である。これは今では「認知症」って云うのが一般的なので、急遽訂正した。
差別用語というのは、要するに、言葉に出す人が差別する意識を持って発言する言葉である。そう言う意識が無いのなら差別語じゃないと思うが、でも見たり聞いたりして、その語に関わって「心に傷」を受けてしまうような人が居るなら差別用語になる、というのも理解出来る。だから気をつけて、言葉を選んでいる。
「土人」という語を、明らかに差別、蔑視する意図を持って発言しているのに、それを「差別用語」だと思わないと言う大物政治家が居たという呆れたニュースが最近あった。悲しいことである。
こういう感覚・意識の政治家が寄り集まって「駆け付け警護」などと名づけて自衛隊を戦地へ送ろうとしている訳だ。怖い話である。

さて、選歌などしていると、しょっちゅう辞書を調べることになる。難しい新語、専門語、最新ニュース、こんな花があるのだろうかっていうことなども、判る範囲では調べなきゃならない。なにしろ調査範囲が広いので、昔のように『広辞苑』一つがあれば大丈夫ってならない。選者もネットやスマホを座右にしないと業務にならない時代である。

それは別として『広辞苑』を見て居ると、いろいろ考えさせられることがある。

「向ふ」(ある方向にむき合う意味)。「向う」 (場所としてのあっち側を意味する)
「小さき」(ちいさき)だが、これは「小き」(ちさき)となる。
「雨上がり」は、雨があがったという動詞を意味する時。名詞としての場合は「雨上り」で「が」を省く。
「暮らし」と書く時は、たぶん動詞として使う時だろう。名詞は「暮し」となるのだと思う。「ら」が省かれる。
「過ぎる」(すぎる)の「ぎ」を除くと「過る」(よぎる)と使われる。同じように、
「過ごす」(すごす)の「ご」を除き去ると「過す」(すぐす)となるのである。

昔はこんなふうに送り仮名を書き分けることで、それを如何に訓ずるのかを明らかにしていた。すごい決まり事があったのであろう。
現代では、特に根拠がなさそうなのにやたらに送り仮名を多く振る。わたくしなどには逆に読み難い。
「気持」という名詞が「気持ち」となるのが一般的になりつつある。
冬雷では、ここは踏ん張って「気持」で統一しようと頑張っている。
他は「吾・我」を「吾れ・我れ」、「老」を「老い」とすることなどは作者の好みとしている。
そこまで統一するなどは一短歌結社の校正担当の判断で出来る話じゃない。

音便の形と云う厄介なものもある。

「思うて」は「ウ音便」である。
旧仮名で「思ふて」と書くような場合は、元は「思ひて」の連用形が促音の「思つて」(旧仮名では小さい「つ」は使わない)と言うような時に「ウ」の音に転じて「思うて」と変化したものである。話し言葉としての変化なので音便と言う。文法的には「思ふ」のハ行の活用形がワ行の活用へ変化して「ウ」が生まれて来たものだ。
ややこしいけどそうなるのである。

「喰ふて」→「喰うて」。「問ふて」→「問うて」。「負ふて」→「負うて」。「沿ふて」→「沿うて」。「乞ふて」→「乞うて」。「厭ふて」→「厭うて」。

以上もみな「ウ音便」である。
これも先月の作品欄の校正の時に気がついたことなどだ。

旧仮名表記とはいえ、新仮名めいた「う」を使うのが面白いところ。難しいところ? である。
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by t-ooyama | 2016-11-16 18:50 | Comments(0)

不良本

『川又幸子歌集』は好評のようで、各方面から反響がある。もしご存命ならば、さぞお喜びだったろうと思うと切ないものもある。
先日は国会図書館から電話が入ったので何かと思ったら、「川又幸子」はどう読むのか? という問い合わせだった。「かわまたさちこ」です、とお答えした。図書館の方も、こういう確認もあるのだと思い大変な業務だなあとあらためて思った。国会図書館にはあらゆる出版物を送らねばならないという法があって、冬雷も創刊よりずっと関連刊行物の寄贈をしている。冬雷54年分は総て年ごとに合本されて見事に管理されているのだろうと想像される。高田さんの話では、他の本所図書館や芭蕉記念館等でも、冬雷はきちんと合本整理されていると言う。有難いことである。
まあ、いわゆる評判とは違う話であった。

川又さんもおつきあいの広い方であったので封書による懇切なる礼状も来る。
中には、まだ健在であるかと思っているフシの方もあり、『遺歌集』としなかったのがまずかったかも知れないと反省もちらりであった(意識的に「遺歌集」を避けたのだが)。中を開けば、奥付にも「著者・川又幸子」は略してあるし、住所も出ていないし、冬雷にも出ていないのだから、判ると思うが、歌壇の皆様はやはりご多忙の中で活動していらっしゃるのが日常なので、「とりあえず礼状を」というものだったのだろう。わたくしでもやりそうな間違いなので、身につまされる。

そんな中で、高知の松中さんから不良本が届いたという連絡もあった。
大切な川又先生のご本なのに、こんな状態なのは残念なので……という申し訳なさそうなご様子。早速に交換させて頂いたが、不良本とは、本文と表紙+カバーが天地逆になっているものであった。外観の目視では分からない。開いてアッというものである。
製本時に一部だけ逆に丁合カセットに入れてしまったのだろう。稀には有ることだ。こういう不良を考慮して、製本所からは、「予備分」として20部程度余計に納品されて来る。何かあったらゴメンナサイ、という意味である。
ということでご容赦有れ。
これは一種の「乱丁本」なのかもしれないが、思い出すのは50年程前の佐藤佐太郎歌集『冬木』である。
わたくしがいつものように森下の発行所へ行くと、木島先生が「佐藤さんから新歌集が届いたよ」って『冬木』を見せてくれた。扉に署名入りの立派な本である。
中をぱらぱらと見ると、どうも妙な感じがする。
「ページがバラバラだろう」って先生は言う。
どうも製本時の丁合不良でページが通っていないようだった。「乱丁」本であった。
「頂いたものだしね。これも逆に価値が出るよね」って先生は微笑んだ。

後日、冬雷の若手の一杯飲む集いで、
「佐藤佐太郎の冬木は乱丁本だったよ」って話したら、側に居た穂積靖夫さん(現在の穂積千代さんのご主人)がエッと驚いた。
「佐太郎に乱調って、どんな?」と言う。
穂積さんは「乱丁」を「乱調」と取り違えた。

懐かしい思い出だ。

松中さんのお陰で、若い日々の記憶を呼び戻した。
希望はあったけれども、毎日が切なく辛い日々でもあった。

その『冬木』だが、今年の始め、川又さんが豊洲の家を引き払うとき、最後の整理に伺い書棚から頂戴して来た。それが下のものです。

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川又さんも大切にされたのだろう。五十年経過したのに身近の書棚に置いておかれた。
本には栞が挟まり、そこを開くと、

憂ひなくわが日々はあれ紅梅の花すぎてよりふ
たたび冬木


という昭和四十年作歌の高名な一首があった。
この歌が歌集名の由来である。

豊洲の川又さん。豊洲の冬雷。
川又さん亡き後も冬雷は豊洲での月例会を行っている。毎月高田さんと森藤さんがお二人で会場を確保して下さっている。有難いことだ。
実はこの会場が縁で、お一人の新入会があった。
その方は豊洲の川又さんの生まれ変わりのような「幸子」を名乗るのだ。
わたくしは豊洲の新「幸子」さんに不思議なものを感じている。
順調に伸びて、十年後の冬雷を牽引するような存在になってほしいものだ。

今日はこのあたりで。
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by t-ooyama | 2016-11-15 13:30 | Comments(0)

モンキートレインに乗って72   の記念写真集御礼

昭和十九年の会から、先に行った出版記念パーティーの記念写真集を二部頂いた。本文30頁に総カラーの簡易印刷・製本版である。有難う御座います。あの日の活気が甦ります。

表紙は十九年の会のみなさんの集合写真。
表紙裏には代表者の「挨拶」が載っている。
本文は会場で祝辞をのべた諸氏の写真や、くつろぎなごやかな会場のテーブル周りの写真で埋められている。それは下のようになっている。
小生までご紹介頂いて驚いたが、御礼申します。

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冬雷の皆様。
これを御覧になりたい方はお申し付け下さい。送らせて頂きます。
こういう記録をきちんと作るのはさすがですね。
十九年の会の制作担当諸氏に御礼申します。

さて、昨日は冬雷の月例会でした。
終了後に、来年に向けての「大会の反省会」もありました。
会場の雰囲気は以下です。
こちらは批評が取り交わされている状況で、やや畏まった印象ですね。

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ご興味のある方は、御気軽にご参加下さい。
会場は30名程度は収容可能です。
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by t-ooyama | 2016-11-14 13:28 | Comments(0)

訃報です

ちょっと日が差せば暑いし、かげれば寒くて暖房が必要という此の頃です。
また悲しいお知らせです。

古い会員のお一人の荒木米子様が逝去されました。
荒木様は、昭和13年生れで、お茶の水女子大在学中に「慢性間接リウマチ」を発症し、その後ずっと闘病の生活を送られました。昭和44年に冬雷に入会し木島茂夫に師事、第一歌集『友にゐる風景』(1991年)を上梓しました。
荒木様を冬雷に紹介したのは島根多磨子です。島根とはご病気を介しての交流があったようですが、島根と云えば、湘南サナトリウム時代の滝澤亘の門弟です。滝澤は歌集『白鳥の歌』を出版して木島と交流が始まった歌人で、第二歌集『断腸歌集』を出版後「壮絶な喀血死」をとげます。
その弟子であった島根は、滝澤の死を木島に報告すると同時に冬雷に入会しました。

荒木様には、冬雷短歌会文庫として二つの歌集も上梓しています。
下の『多摩の歌』と『平山四丁目集』です。

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『多摩の歌』は2009年8月。『平山四丁目集』は2014年7月の刊です。
『多摩の歌』の表紙画はご自身のもので、『平山四丁目集』の表紙画は近藤未希子様の作でした。

    己が事のやうに私の行く末を案じ下さる人々とゐる
    自立生活せんとアパートを探し歩く介助の人と雪降る中を

    それぞれの個性を見せて介助者は手助け呉るる吾の自立を
    抱へたるパンの匂ひをかぎながら幸せなりと車椅子に帰る


前の二首は『多摩の歌』自選六首から。
後の二首は『平山四丁目集』自選六首からの作品。
わが事にように、そして、其々の個性を発揮しながら介助して下さる「人々とゐる」環境に感謝しつつ、
自立生活をひたすら求め、買い求めて来たささやかなパンの匂いに小さな幸いを見出した生き方でありました。
『平山四丁目集』刊行の時はすでに冬雷に新作を発表される事が無くなっていましたが、赤羽佳年氏の努力もあって歌集は進められました。そして二年余りが過ぎた昨日(11月4日)突然帰らぬ人となったわけです。享年78歳かと思います。合掌。

事務局からお通夜と告別式の連絡が入りました。以下の通り、

お通夜
 11月7日 (月曜日)午後6時から
  斎場  千の風 青梅斎場ちがせ
       青梅市千ヶ瀬 5-604-13
       ☎0120-997-541
告別式
 11月8日(火曜日)午前10時30分から 11時30分まで

最寄駅は 東青梅 だそうです。


大山はお通夜に最後のご挨拶に参る予定です。
冬雷の多摩支部の皆様がたくさんいらっしゃるかと思います。
作品は作らなかったようですが、毎月行われる「多摩支部歌会」には御出席であったと聞いています。
やはり短歌が大好きな生涯でしたね。

 
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by t-ooyama | 2016-11-05 18:47 | Comments(0)