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大会御礼

本日第56回大会が両国にて行われ、無事にお開きとなりました。
外はあいにくの雨でしたが、会場は熱気に溢れました。
会場確保に動いて下さった皆様、御礼申します。
会場にてお手伝い下さった皆様、有難うございます。
総合司会の大塚さん、有難うございます。
詠草批評を担当された皆様、お疲れさまでした。
懇親会でお世話になりました皆様、御礼申します。

本日は遠路はるばるおこしの方も多く、その熱意をしかと受けとめました。
活発に御発言下さった皆様の意欲に感動を覚えました。
小誌の未来は明るいと確信しました。

小誌は個人の所有するものではなく、会員皆様の力を併せて運営して行くものと云うことを再確認しました。
これからも力を併せて「冬雷」という「場」を育てて参りましょう。

下は会場の開会前の雰囲気です。

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そして、下は懇親会会場からの展望です。広い窓の外には両国駅付近の様子が開けて居ます。
国技館が眼の下でした。
その右隣には「江戸東京博物館」です。
今の両国の姿ですよ。


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ひさしぶりの両国は大会会場と同様に活気に溢れていました。







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by t-ooyama | 2017-10-15 23:41 | Comments(1)

お知らせ他

大会まで書き込みはしないつもりだったが、もう一回書くことにする。
事務局からmailで相談があった。
 
大会の日に「現代短歌社」の方が来て「現代短歌新聞」最新号を宣伝でお配りしたいと云うがどうするか?

ということ。わたくしは即座に「了解」と返信する。
経営努力は企業にとっては大切。こまごま歌壇に眼を配り、小誌の動向等もキャッチして、刊行誌の素晴らしさを宣伝したいと云うのだから何ら問題ない。それだけ小誌に魅力があり、わざわざ出張する価値があると認めて下さったのであろう。
有難いことである。
「現代短歌新聞」は、石黒清介の起こした「短歌新聞」の制作に関わっていた道具社長が、後継紙を目指して創刊されたもので、伝統的に購読料は廉価に抑えられている。値段以上の価値のある誌面である。
勧めらたら、購読されることをお勧めする。

夕方電話が鳴って永く交流のあった「高嶺」の廃刊を知る。
この四月より新発行所を受け持たれた江島彦四郎さんがお亡くなりなったとのことで、発行所移転じゃなく廃刊に決められたようである。短歌雑誌の発行を受け持つのは結構体力が要るので、誰でも出来る訳じゃない。この判断は苦渋の決断と云うべきなのであろう。
「高嶺」は早川幾忠が創刊した雑誌だが、小誌との関係が深まったのは二代目の二宮冬鳥の時代。
過去の回想の助動詞「し」の誤用・慣用問題を良しとしない二宮と、小誌創設者の木島茂夫が意気投合し、二誌を主導とする「し」の誤用への問題提起は、広く歌壇へ衝撃を与えた。この成果は太田行蔵の著書『四斗樽』になって残り、その完全復活版を、最近小誌に於いて連載したのであった。

二宮は大正二年生れの医師で、長崎で被曝した後、その研究にも功績を残す。以後複数校の大学教授を歴任して、併せて短歌にも情熱を注いだ。平成8年に逝去。
「高嶺」は、以後大牟田の森山誠哉氏の元より継続発行されたが、氏はこの春に八十八歳で亡くなられた。
その後に江島氏が発行所を引継いだのであった。
以後半年も経過しないのに、この度の不幸が重なった。
「高嶺」に寄り集う会員の皆様の悲しみが多いに察せられる。
江島氏のご冥福をお祈りするとともに、歌壇に強くその足跡を残した「高嶺」に中心より敬意を表するものである。

気骨のある短歌雑誌がまたひとつ消えて行く。
小誌はまだまだ頑張らねばならない。


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by t-ooyama | 2017-10-13 20:03 | Comments(0)

大会でお会いしましょう

お早うございます。
今日はどんよりの曇り空。肌寒いですが、日曜日の大会の日はどうなりますか。
最近の天気予報はかなりの確率で当ります。まだ精しくは見ていませんが、よい天気だとよいのですが。

今年大会の行われる地の両国は、冬雷にとっても懐かしい所です。
昭和の時代は両国から徒歩で会場の森下「森弐会館」へ行きました。結構歩くのですが、歩きながらいろいろ考え事をして気分を高揚させて行ったものです。駅近くには相撲の「高砂部屋」もありました。
当然また両国駅に戻るのですが、夕方の両国駅近くの喫茶店「白鳥」にいつも寄りました。

ひさびさの両国ですが、国技館も立派になったことだし、楽しみですね。
会場として確保した部屋はあまり大きくはないのですが、冬雷の規模ぴったりのところで、予定通り約70名の参加ということです。

最近昭和60年頃の冬雷の大会のことを振り返ったのですが、当時は大会出詠数も100前後でした。
冬雷への出詠者数が約250名の時代で、今よりかなり上まわっていたのですが、大会への意欲は強くなかったのかもしれませんね。しかも当時は東京中心の会員構成でしたが今は全国に会員の方の散らばる状態です。
そういう中での本年の大会出詠数は117。この数字には勇気づけられます。
素晴らしい大会になることでしょう。

どうぞみなさま、宜しくお願い致します。


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by t-ooyama | 2017-10-13 09:19 | Comments(0)

不運な、ではなくて、ラッキーだった、と言うべきか

昨日は担当が集っての集中校正であった。
お陰さまで下版(印刷所へデータを渡すこと)間近である。見通しだと10日あたりか。印刷と製本作業を二週間と観て居るので出来は25日頃か。
今月号は本文80ページとなった。

集合時には暖かめだったのに、作業が済んで駅までお送りする時には雨が音をたてていた。かなり冷え込んで来た。
ふじみ野駅までお送りして戻る時に、車の異変を感じた。ハンドルが少し左側に引っぱられるのだ。
「変だな。空気が甘いのかな」なんて思いながら走る。道路は夕刻の渋滞が始まっていた。込んでノロノロとなる。
するとだんだん状況は悪化した。
ゴツンゴツンという感じが伝わって来る。
これはパンクかもしれない、と思った。やばい、家までもてば良いけど。
何しろ車が渋滞で動かないので、状況は更に悪化。
参った。これじゃ「路上えんこ」になる。やばい、やばい。あたりをキョロキョロして緊急停車出来そうな所を探すが無い。「えんこ」って、幼児が尻をぺたんと着けて、足を投げ出して坐る状態を言うらしい。その喩的表現。でも、自動車のえんこって、パンクなんてのは特にこの幼児のお尻に近いタイヤの形なのであろう。
なんて馬鹿なことを思いながら、ぼこんぼこんという感じに走り、国道に出る交差点を右折。限界だった。
ちょうど沢山のタイヤを掲げる店への広い入口を確認して左折して入る。
そのまま直進して邪魔にならなそうな店の側面に停車。直ぐに下車して確認すると前輪左タイヤ一本がペチャンコだった。幼児の「えんこ」そのままに。
しかし、運がよいのか頼みもしないのに店の中から中年男性が出て来て、
「こりゃ、パンクですね。」と言う。

たまたま入った店は「イエローハット」の広い駐車場の中、修理工場の側だった。
折からの雨はほぼざあざあ降り。
店のひとは手慣れたもので、すぐに亀裂箇所を確認。
わたしのタイヤは五月に一回目の車検を通したものだが、三年半ほど乗っているのでかなり磨り減ってはいる。
丁度良いから四本全交換をお願いした。

予定していなかった約70,000円の出費は痛いが、
どこに止めて、どうやって修理を手配して、どうやって帰宅しようかって困っていたので、
止めた場所がうまい具合に「イエローハット」だったことと、約90分待合室のソファーで、熱い珈琲を飲み、新聞読みながら待てて修理出来たのは不運と言うより、ラッキーだったと言うべきだ。
良かったなあって、つくづく思った。

先ほど御乗せしてお送りさせて頂いた三人の「女神」のお陰かもしれない。
みなさま本当に有難うございました。
「今後とも宜しく御守護のほどを、お願い申し上げます。」
パンパンと、柏手を打ちたい気分であった。


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by t-ooyama | 2017-10-07 16:14 | Comments(0)

創展で「槻川緑韻」を観ました

今日は午後から上野に行き、創展を観ました。
嶋田さんの「槻川緑韻」を観る為です。
先にご案内をここに記しましたが、短歌作品が絵になっているということでした。

  川の瀬の音描かむと梅雨さなか百三十号の画布に真対ふ

故里の槻川の瀬音を描いたという絵です。下の作品でした。

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同じ槻川を描いた春の作品とはちょっと雰囲気が違っていました。
梅雨の最中だったというので、澄み透っていたという水ながら、晴れの日とは異なるのかもしれません。
そういうところを描くの写実だとも言えます。
わたくしは、春に観た美しい緑色に澄み渡る清流が、なぜここではうすぼんやりとかげっているのだろうかと最初は戸惑いましたが、それはたぶん見る側に自分の心に問題があるのかもしれないとも思い至りました。嶋田さん、すみません。
そして、
離れた所から眺めながら、次第に近づいて行くと「あっと」気がつきました。
この絵は、観る者が近づいて行くと次第に川水が済んで行って、あたかも近くから川底を覗くような「ああこんな綺麗に底の石まで見えるよなあ」って思う仕掛けがありました。なるほど、と感服しました。リアリティーですね。

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これが近づいて観た槻川の川底です。みごとに澄んでいます。

  透けて見ゆる川底の岩見つめつつ永久に清くと願ひ新たに

こう嶋田さんは願ったとあります。故里は汚れて欲しくない、いつまでも、永久に清く美しくあって欲しいですね。
その気持が良く理解出来ました。
この絵から聞こえて来る「音」はどんなものであったのか。
たぶん、濁音じゃなくて、清音のせせらぎ、だと思います。
耳をすませて、わたくしもその音を聴きました。

下は、左時枝さんの「私の名はパンジー」です。
今回はすこし鎮まった色合いに見えました。

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会場にいらした増澤幸子さんとご挨拶。
すこしお痩せになられたようでしたが、お元気にお帰りになりました。

おいとましようとした時に嶋田さんとぼったり。
すこし雑談しました。





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by t-ooyama | 2017-10-04 20:07 | Comments(0)

1971年版「短歌工房通信」  そして訃報

「冬雷」の古いのを探していたら、大昔の「短歌工房通信」(大山敏男個人誌)が出て来た。1971年に刊行していたものの一部である。残念ながら他は見つからなかった。

当時としては特異な企画の個人誌で、誰もこうしたものを出していなかった気がする。これは岡井隆氏の「木曜通信」(葉書版として出されていた)のイメージ模倣であった。A5サイズ一枚の表裏で構成される極めてコンパクトな誌面である。

当時親交のあった友人諸氏が登場する。

3号では、現在「現代歌人協会」理事長の大島史洋氏。若々しく凛々しいお顔である。氏の処女歌集『藍を走るべし』の書評(大山)と氏の新作五首を掲載する。


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    ◇               大 島 史 洋      

  “根源的問い“を笑えばのめりこんでゆく果ての散華に眼は輝けり

  考える 考えるゆえにあやうけれ ならば一本の木の任につくべし

  門をいでてアパートの翁につかまりぬ糖尿病を尋ねて二度三度笑う

  君はいま俺とどれほどへだたって眠っているか もろし言葉は

  稲妻は藪の骨ほど刺さずして走り過ぎたる悔しくはないか

とある。これは今読んでも力作で、大島氏の誠実さや実力が半端じゃなかったことが直に解る筈だ。氏は多忙中に関わらず小生の希望に沿った作品で応じてくれた。

隣に載っているのは「歩道」の増島洋祐氏。少年時代にお世話になり影響を受けた青年歌人であり、一時だが島一行の名で冬雷に歌を寄せてくれた。「歩道」では主に河原冬蔵氏の指導を受けておられた。河原氏の奥方は、女優の北林谷栄さんであった。


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4号では「歩道」の稲葉正次氏の論と小生の十首の組み合わせ。稲葉氏は長澤一作氏に指導の受けておられた。

小生の十首は後に『感情交響』に収録される対象歌だが、誤植もあって恥ずかしい。二十代初めの拙い作品である。

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5号では、小生の歌集『春』について書いたものである。

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7号は大河原惇行氏(現、短歌21世紀代表)の文と、稲葉氏と小生の五首が組み合わされる。

大河原氏は当時アララギの若手のリーダーで、狭山グループと後に上田三四二から言われる仲間(大橋榮一・斎藤彰詰・萩原千也氏ら)の皆さんとも共に、よく歌を語り合ったものだ。

    冷えながら               稲 葉 正 次

  人恋ほし夜にてゴアの絵の中の焚火の炎われは見てゐる

  常緑樹多きゆふべの公園に硬き頭髪冷えつつ立てり

    清算                  大 山 敏 男

  ことなべて清算したる如き思ひ葉をふるひ落しゐる公孫樹みゆ

  一切の責なげうちてしまひたく思ひはじめゐる吾が恐ろし

こんな感じ。涙が出るほど懸命に生きていた時代であった。

大島氏、大河原氏は述べた通りだが、他の方はいまどうなされたか。精しくは不明である。

探していた冬雷は見つからなかったが、しばらく過去の世界に旅していた。





 《訃報です》

突然電話が鳴った。

悲しい知らせである。

会員の片本はじめさんが9月30日にお亡くなりになった。

ついこのあいだショートmailで、癌が発見されて入院したという連絡を頂いたばかりである。

享年59歳であったという。お若いから癌の進行が速かったのだろう。

それにしても入院のmailから、ひと月も経っていない気がする。肺癌か。速すぎるよなあ。

心よりご冥福をお祈りさせて頂きます。

片本さんの冬雷掲載最後となった作品は九月号、

                   片 本 はじめ 

  無愛想なレジの女にねぎらひの言葉かくれば初めて微笑む

  クリスチャンらしく生きたし聖霊に包まれ賛美の歌聴きながら

  チャペルまで駅から徒歩で五十分腰痛ひどきわれには行けぬ

  一回り大きなズボン二本買ふ腰痛のため財布も痛し

  百貨店の花壇に坐る老人ら皆行き場所のなき人ばかり

  百貨店の花壇にたむろする老人ら長寿と幸は別と思へり

  忌はしき過去のみ脳裏に幾たびも浮かびて眠れず朝となりたり

の一連である。

片本さんは平成2611月入会。ずっと川又幸子さんが指導されて来たが、故人となられた後に小生が選歌を担当した。

作品と一緒に、必ず一枚挨拶文が付いている。それを読んでから選歌に入ったが、敬虔なクリスチャンであった。

 

  クリスチャンらしく生きたし聖霊に包まれ賛美の歌聴きながら 

  チャペルまで駅から徒歩で五十分腰痛ひどきわれには行けぬ

原作では「クリスチャンらしく死にたし」だったが、選者の不理解で「生きる」だろうなあ、と直してしまった。お亡くなりになるとこの原作が痛ましい。

次の歌も、腰痛も病気から来たものだったのだろうか。徒歩50分歩くのは結構辛い。健脚じゃないと無理だろう。でも普段は、この距離を徒歩で通っておられたのだ。これも信仰のから得られた強い精神力がさせたのだろう。

やけに胸にしみる最後の作品となっていた。

                                                        合掌  

  


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by t-ooyama | 2017-10-03 20:34 | Comments(0)

「埼玉歌人」96号

昨日届いた「埼玉歌人」最新号。
さっき開いたら嶋田さんの作品三首と、小川さんの『柊の家』の批評が載っていた。
嶋田さんは今日も創展で上野にいらっしゃるのだろうが、歌は九州八女の銘酒「古久」を楽しむ日々が歌われる。
「何時もの頼む」とmailを打てば、すぐに送ってもらえる関係が十七年以上も継続されているらしい。
その酒の「2000年記念」が出たのだろうか。
うまそうだ。

小川さんの方は「長風」の本木さんが懇切丁寧に書いてくれた。
有難いことである。
この場を借りて謝意を表したい。

小川さんも今頃この「埼玉歌人」を手にされて、驚いたり喜んだりしていることだろう。
良かったですね。


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by t-ooyama | 2017-10-01 19:31 | Comments(0)