『土地よ痛みを負え』の一首

東小金井の岡井隆宅を訪ねて短歌の添削指導を受けた時期がある。二十歳の一時期だが、当時の岡井氏の自宅は、見通しの良い低い塀柵に囲まれ、小さな竹群もあり砂場もあった。
部屋には新型クーラーが据えられていて、随分豪華だなあなんて思ったものだ。今のように手元の操作が効かない時代で、岡井氏はしきりに立ち上がっては室内温度の調節をされていた。そんな姿もまた、恰好いいと思えた。岡井宅では「未来」の編集なども行なわれていて、別室で大島史洋氏ら若手の会員が作業されている時もあった。

わたくしは調布市緑が丘に住んでいたので、バスで三鷹に出て、JR中央線で東小金井へ行った。小一時間かかる道のりであった。当時幼稚園に通われていた娘さんがいらした。この子は大島さんにとても懐いていましてって、奥様が話された事を思い出す。
岡井氏からいろいろ教えて頂いた。その書棚から平井の『顔をあげる』や寺山修司の『われに五月を』などをお借りしたりもした。添削を受けた後に、村木道彦氏や板宮清治氏や、三枝浩樹氏らの話もした。夏だったので短パンをはいた岡井氏は、若さに溢れていた。

ある時は白玉書房から手に入れた歌集『土地よ痛みを負え』を持参して、お願いして希望の一首を書いて頂いた。気さくに応じて下さった。

  労働に荒るるにはなお遠き掌を労働の書に挟みて眠る

である。
いま取り出して『土地よ痛みを負え』のねずみ色の見返しに書き付けられた歌を読んでいる。柔らかくて繊細な品格のある字である。岡井氏は外科医であり、歌集の扉は、手術着姿の精悍な顔写真である。四六変形判で天地が詰まっていて、臙脂のクロス貼りハードカバー192頁だったが、装幀はとても斬新で印象的だった。
塚本邦雄に並ぶ前衛派という評価であったが、わたくしが見て感ずる限りは通常の伝統を踏まえたものに映った。やはり土屋文明に繋がるアララギの歌人だと強く思った。
労働という熟語が二つも入った作品を選んで書いてもらったのだが、その労働の質は、所詮印刷工場に働くわたくしのそれとは趣の違うものである。承知で、でも労働の歌が良いと考えてお願いした。

この頃の事をしきりに思い出す。
わたくしが実作指導を受けたのは、木島先生以外では、この岡井隆氏だけである。

その書をここにアップします。
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by t-ooyama | 2014-11-04 00:21 | Comments(0)

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