土屋文明歌碑

埼玉県都幾川村大附のみかんの実りを見に行った。
こころよい小春日和の陽を受けながらみかんの黄色い輝きが綺麗だった。
甘そうなところを少し土産に買ってみる。

山を下りながら、そうだ慈光寺へ行ってみようと思い立った。
県道へ下る途中を左折して細い山道を少し走ると、慈光寺への登り口がある西平へ向かう道に出る。連休なのに車は結構すいている。川沿いの県道を登っていくと西平。
交差点信号を右折して山道を鋭く登っていく。
ものすごく美しい紅葉を見せる楓の大木がみごとに輝いているのを束の間見下ろす。いいなあって思う。

慈光寺へ向かう途中に土屋文明の眠っている墓地がある。
久しぶりに寄ってご挨拶申し上げようって思い、車を止める。
少しは墓地の墓石も増えて賑やかになっているのかと思っていたが、実際はほとんど変化のないちょっとさびしくまばらに立つ墓石が見える。
ああ、ここだここだ。文明先生のお墓とは思えないほどの小さな普通の墓碑がわたくしを迎えてくれた。
手を合わせて頭を下げる。
実はわたくしも人並みに病気をしましてね。危なかったんですが、運よく助かりました、なんてお話しする。
自然の湧水を引いたと思われる水場があったので、桶などもお借りして、お墓を洗わせていただいた。
墓には24回忌、34回忌の折の卒塔婆が並んで立てられてあった。
 「孤峰寂明信士」
がその戒名のようであった。
墓の周囲には、引き抜かれた鶏頭の花が土のついた根を乾かしながら幾つか横たわっていた。
まだ綺麗な花をつけている状態なのに、抜かなくてもよいのにねって、思った。管理する人にはそれなりの都合があるのだろう。仕方ない。
ふと見ると、墓石の周りには、その小さな子供たちのような鶏頭がすでに小さな花を掲げながら、数本立っている。引き継がれる生命の強烈さを思った。

何気なく墓石から目をそらし、右手を眺めると、歌碑のようなものが見えた。
呼び寄せられるように近づくと、それは文明先生の歌碑であった。
以前来た折には、これは無かった。
控えめな大きさなので、その墓石から離れていることもあるが、うっかりすると見落とす歌碑であった。
群馬県の土屋文明記念文学館前に建っている歌碑の、

  青き上に榛名をとはのまぼろしに出でて帰らぬ我のみにあらじ

の歌を思い出す、よく雰囲気の似た歌碑となっていた。でも、この慈光寺の歌碑のほうが手作り感のある庶民的な印象である。歌は、

  亡き後を言ふにあらねど比企の郡槻の丘には待つ者が有る

とあり、歌碑には平成21年建立とあった。

平成2年12月8日、心不全においてお亡くなりになった100歳の文明先生。
  「槻の丘には待つ者が有る」
とは、先にお亡くなりになった長男夏実さん、夫人テル子さんのお二人であろう。
慈光寺の墓地には、いま三人のお名前が並び刻まれている。
わたくしは、再び頭を深く垂れてから、おいとました。

歌碑の写真を撮ろうと携帯を出したが、カメラのアプリがバッテリー不足で起動しなかった。
ここにアップできないのが残念だが、歌碑の歌を必死に記憶して山を下った。
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by t-ooyama | 2014-11-23 21:52 | Comments(1)

Commented by 金木星 at 2018-06-04 08:21 x
よくぞ文明墓地を、お訪ねくださったね
昭和27年ころ、明治大学の学生でした
はるかに、往時を偲んでおります
奈良の万葉紀行の指導などありました
慈光寺の墓地は、仄聞していました
他のネットで、墓地写真は確認できました
参詣者の話、鶏頭の花に感謝します、合掌

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