お知らせ他
大会まで書き込みはしないつもりだったが、もう一回書くことにする。
事務局からmailで相談があった。
大会の日に「現代短歌社」の方が来て「現代短歌新聞」最新号を宣伝でお配りしたいと云うがどうするか?
ということ。わたくしは即座に「了解」と返信する。
経営努力は企業にとっては大切。こまごま歌壇に眼を配り、小誌の動向等もキャッチして、刊行誌の素晴らしさを宣伝したいと云うのだから何ら問題ない。それだけ小誌に魅力があり、わざわざ出張する価値があると認めて下さったのであろう。
有難いことである。
「現代短歌新聞」は、石黒清介の起こした「短歌新聞」の制作に関わっていた道具社長が、後継紙を目指して創刊されたもので、伝統的に購読料は廉価に抑えられている。値段以上の価値のある誌面である。
勧めらたら、購読されることをお勧めする。
夕方電話が鳴って永く交流のあった「高嶺」の廃刊を知る。
この四月より新発行所を受け持たれた江島彦四郎さんがお亡くなりなったとのことで、発行所移転じゃなく廃刊に決められたようである。短歌雑誌の発行を受け持つのは結構体力が要るので、誰でも出来る訳じゃない。この判断は苦渋の決断と云うべきなのであろう。
「高嶺」は早川幾忠が創刊した雑誌だが、小誌との関係が深まったのは二代目の二宮冬鳥の時代。
過去の回想の助動詞「し」の誤用・慣用問題を良しとしない二宮と、小誌創設者の木島茂夫が意気投合し、二誌を主導とする「し」の誤用への問題提起は、広く歌壇へ衝撃を与えた。この成果は太田行蔵の著書『四斗樽』になって残り、その完全復活版を、最近小誌に於いて連載したのであった。
二宮は大正二年生れの医師で、長崎で被曝した後、その研究にも功績を残す。以後複数校の大学教授を歴任して、併せて短歌にも情熱を注いだ。平成8年に逝去。
「高嶺」は、以後大牟田の森山誠哉氏の元より継続発行されたが、氏はこの春に八十八歳で亡くなられた。
その後に江島氏が発行所を引継いだのであった。
以後半年も経過しないのに、この度の不幸が重なった。
「高嶺」に寄り集う会員の皆様の悲しみが多いに察せられる。
江島氏のご冥福をお祈りするとともに、歌壇に強くその足跡を残した「高嶺」に衷心より敬意を表するものである。
気骨のある短歌雑誌がまたひとつ消えて行く。
小誌はまだまだ頑張らねばならない。
by t-ooyama | 2017-10-13 20:03 | Comments(0)