この二か月の例会情報は司会を務める中島千加子より発信されている。
いつもレポートを書いていた高田さんが欠席中だからだが、この二か月は参加者の顔ぶれに変化が見え始めている。当然進行展開の中身にも変化が生まれた。良い意味でいろいろな意見が活発に出て来る勉強の場的雰囲気が増して来た。
六月の新参加は新井光雄さん。この方は入会間のないとは言え、作歌経験はすでに積んでいらっしゃる。伺うとどちらかで道浦母都子氏に手ほどきを受けたそうである。でも「未来」へは行かずに小誌を選択されて入会された。
まだ打ち解けてお話しする機会が無いけど、その背景なども興味あるひとつである。この方は某大新聞に時折「コラム」を担当するほどの論客なのだが、お見受けするととてもシャイな紳士で、出しゃばって話される方ではないようだ。今後は司会が上手にそのもてるすべてを引き出してくれるだろう。
七月の例会には、新入会の旧「高嶺」幹部の皆様が揃って初参加。
これは圧巻であった。華やかな女流陣を率いる黒一点の稲田正康氏が、如何にも「高嶺」の人だと思わせる発言を展開された。稲田氏は、「高嶺」に於ける母子二代に渡る生粋の「高嶺人」なのだ。発言いちいちもっともと伺った。
華やかな女流陣も皆様積極的。そしてその作品もかなり躍動的であった。
たたたたたたたたたたつとをさなめの走る音して朝やぶけたり 佐藤靖子
われの影ゼブラゾーンに入りたればはみ出でぬやう丹田を締む 同
焼売の肉を包むに唇がそのつどつぼむを意識してをり 同
泡立てネットに立ちたる泡を身にまとひしばし泡雪姫となりたり 鈴木計子
雪道を画面を見つつ歩みくるかやうな輩は転ぶがよろし 同
ジャンパーの脇に小さき手の見えて幼が爺に抱かれてをり 同
こういう作品が注目された。
「高嶺」に培った写実的伝統的文法等厳格の空気の中で育った技術。その、ぎりぎりのところでの圏外脱出願望、挑戦意識を漲らせる姿勢が垣間みられた。
昭和という時代。敗戦から立ち直ろうとして頑張った先輩たちが集って結成して拠り所とした「高嶺」や「冬雷」であった。
比較的価値観が似た部分があって古くから交流があった二誌であるが、まさか合体して作歌活動に入る事になると、誰が予想したろう。
驚きの連続であるが、すべて受け入れて流れに任せる。どういうふうに展開しようと、それを肯定したい。
因に七月号編集後記にわたしは書いた。
以下の通りだが、我々の生きている世界は、何時の時代も一つの糸で繋がっている連続放送劇のようなものだ。いつも「次はどうなるの」っていう興味高まる所で「はい時間です」って切れてしまうのだ。そして、つづきをわくわくと待つのだ。
▽平成に変った時期は「冬雷」の
勢力最盛期で出詠者三百名に限り
なく迫った頃である。木島先生も
まだ十分に力強く先頭に立ってい
らっしゃった。誌面を注意してみ
ると、文法や表記に関する発言も
多い。また外部の歌集を取り上げ
る中でも、岩田晋次『静ごころ』、
江島彦四郎『緑の音』、二宮冬鳥
『忘路集』等一つの傾向が顕著だ。
木島先生が信頼した文法学者の岩
田先生。二宮先生は当時の「高嶺」
主宰者。そして江島先生はその最
後の主宰者であった。岩田、江島
両先生は昨年逝去された。そして
今月、その「高嶺」より幾人かの
新入会がある。時代はいつも連続
放送劇のように動いている。