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滅茶苦茶だ

激動が過ぎて、ほんの少しのダラダラ時間のなか、妄想に遊んだり、昼寝したり、ある意味無為の時。
そうもしておれぬと頂いている歌集をひらき、礼状でも書かねばと老身を鞭打つ。

じゃ、これでも。と一冊の封を切る。
ざざざと目を通す。
バリューはかなりの方なので、いい歌が目白押しかと思っていたが、愕然とする。
なんだろう、これは。
滅茶苦茶だ。
過去回想の助動詞連体形「し」がみな「×」なのだ。
この助動詞は、終止形の「き」を間違う方はほぼ居ないのに、なぜ連体形は「×」が多いのだろう。
所謂「慣用としての」使い方がハバをきかせて、すっかり本来の使命を帯びて使われていないのが「し」にとっても辛い事だろう。
「し」がやたらに多用されるので、やけに目に付くが、みな「×」ばかり。
いったいこの方は、本来の過去回想を詠う時に、どのような助動詞にお世話になるのだろうか。
わたしの識る限りでは、過去回想を助ける品詞は「き・し・しか」意外には殆ど無いのが文語なのだ。
その重要な助動詞を、なぜ歌人は粗末にあつかうのか。
現在完了をあらわす語は幾らでもある。場合によっては口語の「た」を使ったって、文語口語の混合になったって、場違いの「し」を使うよりましだと思う。「澄みし空」は、かつて澄んでいたことのある、あの日の空を言うのだ。いま、目の前の空ではない。
さっきからずっとページを繰っているが、ついに一首も佳品を拾えない。
つまらない、内容の無い、そんな歌である筈が無いのに、これだけ場違いの「し」を見せられると、落胆する。
やめた。
わたしは、礼状を書く事を中止した。
また、別の日の、体調の良い日にしよう。
今日はきっと、どこか躰の調子が悪いんだろう。
こんな日に、大事な歌集の礼状を書くのは良くない、と決断した。

冬雷のみなさま。
過去回想の助動詞「し」については、いま連載中の「今月のしとたる」を御覧あれ。
創設者も、多くの先輩たちも、必死に論じ、大切にして来た「し」である。
襟を正して使うべきだ。

by t-ooyama | 2018-07-26 11:04 | Comments(0)

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