今日は雨

昨日から雨が続いている。
湿っぽいが暑くはない。まあ、楽になった。
金曜日にリニューアルされたホテルの大会会場を観て来たという担当の皆さん、お疲れさまでした。
ちょっと写真も見せてもらったが、コンパクトな使いやすそうな部屋だった。
いずれレポートが中島さんから出るだろう。

編集室では、いま十月号の再校を係に回した所。
本号も本文80ページとなる。
充実の作品三欄だけれども、いろいろ木島先生時代を思い出す事が起きて来る。
忘れていた事、忘れたママにして時代の変化に順応しようって考えていた事への対応に迫られた。
「高嶺」の二宮冬鳥先生を尊敬されていた木島先生が、その考え方に倣って、
「躰」を「体」に代えて使い、「具躰・肉躰・躰操」などと記していた事は記憶に新しい。
「躰」については、わたしも気に入っており「からだ」と読む場合は「躰」をあてている。
でも木島先生の様な熟語にまで使う事は避けて来た。
理由は簡単で、戦後生まれのわたしには、「躰操」じゃ、「体操」のイメージが湧かないからである。

藝術、文藝の「ゲイ」についても、今の「芸」には違う意味が有って相応しくないんだよって仰有っていた。
「芸」と「藝」は本来意味が違っていたのだ。よって「藝術・文藝」って表記されていらした、と思う。

それと同様な意味で、「予」(あらかじめの意味が無い)を「豫」とする。
「余」にはその意味が無いから「餘」を使う。
「虫」は本来毒蛇のマムシの意味だから、普通のムシを意味する「蟲」を使う、という選択が行われていた。
まあ、あの時代なら、それもあり得たかと思う。
何しろ、昭和30年代の話。まだ、新仮名遣いも未成熟で、隙だらけ、不備も目立った。常用漢字の幅についても同様だったろう。
でも、それから40年も経ていれば、間違った意味であった文字にしても歴史を重ねて、それなりの風格が出て来た。
現代では、ちょっと軽いという印象は有るものの「体・予・余・芸・虫」に、そのイメージが伴うようになって来た。
今では「虫」を見て「毒蛇」を連想する人はいないと思う。

そういう背景であったから、わたしも忘れていたが、此処に来て対応に迫られた。
よって、以下の判断をする事になった。

上記の五文字に「蟬」の一字を加えて、
どうしても、この文字を使いたいという拘りを持つ方については、
小誌では、その拘りをリスペクトしようという態度で臨む。
拘って数十年、ひたすら作歌されて来られた一部の皆様にとって、
此処に来てそれを拒否されては辛いだろうなと思われた。

ということである。
ただしこれは、だからこのように書くのが正しいんだと、強く推奨するという態度ではない。
表記は無論大切だけれども、現代の社会の中で、普通に通じている言葉や文字で表記するのが自然だと思っている。
わたし個人は、なるべく普通の文字で表記して行きたい。

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by t-ooyama | 2018-09-02 12:27 | Comments(0)

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