訃報
本山恵子さんが一月十五日にお亡くなりになった。昭和十四年生れで、小誌には平成11年入会とある。わたしが埼玉県歌人会の理事をしていた時に越生で開催したシンポジウム「いま埼玉を歌う」にも参加してくれて、以後会員になって下さった。当時民生委員をされていて、地元の赤十字奉仕団の理事長だった小川照子さんを介しての入会であった。
当時の埼玉県毛呂山町は小誌支部もあって、毎月例会を開いていた。小室つねさん、小室とめ子さん、小室ゆきさん、斎藤たけ子さん、小山タカさん、栗原サヨさん、小川照子さん、他にも何人かの方の入会や退会があった。本山さんは最年少の溌剌とした印象であった。お名前の挙がった方では、小川さんを除いてみな彼岸の方となった。
二十年という歳月はそういう変化をもたらすのである。
本日十一時よりの告別式に、永年のご協力の御礼もあって、小誌を代表して参列した。小誌毛呂山在住の、小川さん、須藤紀子さんとご一緒した。聞く所によると、お通夜もしない家族葬のようで、ご親族以外では五、六名がお別れに来ているだけであった。今まで、民生委員として地域の為に貢献して、人の世話に奔走され、短歌のことでも、小誌の為に何でも快く協力して下さったようなお付合いの広い立派な方が、こんなにも人知れず彼岸へ旅立ってしまって良いのだろうか、ってふと思った。
お別れに行って、お疲れさまでした、いろいろ有難うございましたと言う事が出来て本当に良かった。お棺の中の本山さんは、八十歳と思えない額の皺などもない美しいお顔をしていた。
ご主人様が肺癌で希望のない療養をされた五年のあいだ、ひたすら介護された。
ご夫婦ともにアウトドア派で、登山やスキーをよくされていたようである。
そのご主人様がお亡くなりになったのが昨年暮れであった。
メールでは、失礼とは存じましたが、ペンをとる気力もありません。昨年12月26日夫が亡くなり30日告別式を済ませて、暫くしてから自分の体調を崩して、
ストレスによる胃腸炎。点滴を受け薬も処方されましたが改善の兆しが見えません。歌も作れない状態ですので暫くお休みします。御免なさい
一月九日十二時九分のメールである。
ご主人様がお亡くなりになったことをこのメールで知ったが、かなりのショックで打ち沈んでいらっしゃるご様子だった。このメールより六日目には不帰の人になった訳である。死因は腸閉塞ということだった。胃腸炎の薬が効かず最悪の事態を招いてしまったことになる。
いま印刷中の小誌二月号には以下の作品が載り、遺詠となった。
本山恵子
夫が一年かけた丹精の黄のシンビジウムほころびはじむ
食べられず歩けず臥す日続きて夫の慰め庭の秋模様
ご主人様を歌った二首である。丹精されたシンビジウムは花を咲かせたことだろう。
すっかり弱ってしまったご主人の慰めの庭には今どんな花が咲いているだろうか。想像するだけで悲しい。
同二月号の作品一評には、ブレイクあずささんの長い作品評がある。この鑑賞をここに紹介し、本山さんご夫妻のご冥福を祈りたい。
オプジーボに余命半年を救われて平穏に生きたる四年振り返る
本山恵子
病気と向き合う日々。他人には想像もつかないような、穏やかではない日もあったことだろう。すべてを受け入れ覚悟をきめた人だからこそなのだろうか。静かな調子に心を揺さぶられる。
わたしは悲しくて、さびしくてしかたがない。こんなにも愛し愛された相愛のお二人が、ほとんど同時にこの世を去られたのだ。
現在準備中の『冬雷二〇一八 作品年鑑・自選合同歌集』用に作製済みの昨年一年間の本山恵子さんの全作品をここに掲載し、ささやかな追悼としたい。
合掌。
本山恵子☆
昨年のクリスマスのポインセチア短日処理してひと月過ぎたり
苞葉の赤色は日々濃くなりて真っ赤になるのはあと数日ならむ
明け方に危ないと叫ぶ父の声胸苦しさから目覚めて逃れたり
八十に近き子を守る父かと目覚めてしばし呆然と居る
予備知識無きまま座るスクリーンの前『ブレードランナー』始まる
疲れたと見終えてつぶやくストーリーのスピードに付いて行けず老いたる吾
白菜や大根のほかに名を知らぬ野菜を沢山頂く小川さんより
日本の伝統野菜と聞きたる鶴首かぼちゃは名のごとき形す
数分の電子レンジでねっとりと甘味の強き鶴首かぼちゃ
ツェルマットのガイド夫妻の来訪を楽しみにしてビーフシチューを作る
久久に作るビーフシチューはなんとなく味が決まらず味覚の衰えて
料金の未払いがあるとメールくるよく聞く詐欺の手口とハッとする
ガラケーからスマホに変えて三ヶ月個人情報は何処から漏れるのか
上がりたる腫瘍マーカーにオプジーボ三十二回で中止となりたり
年末から年始にかけて十回の放射線治療がはじまる
投薬の多さに呑むのが仕事だと間違えぬよう仕分けしておく
最後まで人生楽しむ心にてスキーとゴルフの約束ある夫
白き花垂れて咲き出づる真冬のスノードロップに励まされる日び
電線に雪が積もって重たそう二階の窓から眺める雪景色
たっぷりの雪に見とれいて通勤や通学生の苦労をおもう
朝食の支度はあとに雪掻きす小中学生の登校時間
雪掻きが済めば体はポカポカ冷たき水を一気に飲み干す
塒へと森を目指してにぎやかに鴉の大群夕焼け空をゆく
春うらら人っ子ひとり居ぬ園にわがブランコの音のみ響く
芝生に何かを啄む小鳥達われはブランコに日光浴する
はからずも落ち葉の林に見つけた蠟梅に寄ればほんのり花の香
点滴に一週間の入院終え三日めにスキーと出で行く夫
見なさいな「だから言ったじゃない」と歌いつつ夫の脚にシップ薬はる
また明日草取りやめて立ち上がる蜥蜴一匹足元にキョロキョロ
ローソクは何本立てるか六本だバースディケーキを前に夫は言う
父親と祖父の役目も終わるころ八十六歳の誕生日祝う
部屋の明かりを全て消してローソクを囲んで歌うハッピーバースディトゥーユー
検査は月に二回なり積極的治療法無く半年過ぎぬ
担当医の八十六まで保証すると言いしは当たりと夫は笑う
たっぷりと雨降りたればデイジーの勢い咲く庭いちめんの白
両親も伯父叔母も逝きいつしか貰う側なり新茶の季節
この冬は二度のスキーも思うような滑りが出来ずやめ時来たる
また来てね手を振れば角を曲がるまで孫も手を振る明日は子供の日
さよならの握手する手は大きくて強き力は中三男子
日帰りの予定で来たる尾瀬ヶ原スキーで気付いた足腰の衰え
湿原の木道歩けば水芭蕉やリュウキンカ咲き鶯も鳴く
この季節大橇沢に咲くと聞くトガクシショウマ想えど行けず
風吹いてさざ波のたつ池塘には逆さ燧の写りて居らず
終バスに間に合うように帰り来て17キロ6時間の歩みなり
読みかけの『土の記』読むと決めて待つ二泊三日の夫の旅行
時間には制約されず読み耽て味わいあるは歳のゆえかも
水光る田植えの済みたる田を眺め夫の故郷や『土の記』想う
朝早く雨戸を繰るとき爽やかな冷気と共に青葉の匂う
降り続く雨の恐ろし雨雲よ早く去れと祈る日びなり
忖度なき自然の猛威台風は関東掠め再び西へ
しばらく木蔭に立ち話し散歩かと聞けば真顔で徘徊してると
バタバタと何か騒ぐおと螳螂にとらわれもがく一匹の蝉
日中はつけっばなしのエアコンの掃除を一日延ばしにしており
エアコンの掃除ついでにあれこれと片付け滴る汗も気にならず
行儀よく紫陽花の葉に座り居る青蛙一匹池なき庭に
我が背に並ぶコスモスをかき分けて下草取りに半日費やす
濃淡のコスモスと白き韭の花仏壇に供えいいねと夫
姉の声聞くは久しくゆっくりした話しかたに歳を想えり
軒下に脚長蜂の巣が二ついつもの場所と違えば気づかず
この夏の異常気象に蜂たちも巣に良き場所を探したるらし
オプジーボに余命半年を救われて平穏に生きたる四年振り返る
覚悟せし悪液質も現実となりて吾も食欲の失せたり
身体に良いとか悪いは考えず好きなもの食べよと緩和ケアに
by t-ooyama | 2019-01-22 17:24 | Comments(0)