スマホの写真一葉・短歌二首 9(追記あり)
標記の9回目です。
今回は稲田正康氏のご近所の公園のようです。
新しく出来た公園のようで、その開園を待って母子連れがたくさん訪れて楽しんでおります。
子供達も嬉しそうですね。
二首めは、そんな興奮気味に遊ぶ状態が描写されています。
幅広の滑り台なのですが、もちろん脇に階段もあって、そこをのぼってから滑り降りる仕組みです。
でも、いつの時代も子供達は元気で挑戦的です。
斜面を這い上がってゆくのです。
結構急斜面なので、時には滑り落ちるようです。
でも、またまた挑戦する。歓喜の声が聞こえそうですね。
結句の「幾度ものぼる」が効果的です。
画面隅に立って見守る一人のお母さんの姿が、微妙な構図のバランスを保っております。
皆様もふるって感想など、入れて下さい。
お待ちします。
追記 7・18
写真で見ると左側の階段が登り口だと思います。
滑り台は幅広のものが一つと、その右側に狭く見えるのが急斜面になった滑り台でしょう。
母親はそちらへ目を向けて注視しています。
その急斜面の方の滑り台は格好の挑戦欲が湧くのか、子供達が手摺りに捕まりながら
這い上がってゆくようです。
画面裏側にも同様に滑り台があるようですね。
適度の挑戦欲を持たせ、また安全性も考えたバランスを思わせる遊び場ですね。
茂吉の『赤光』に「青山の鐵砲山」という一連があって、元気に遊ぶ子供達を描写しています。
赤き旗けふはのぼらずどんたくの鐡砲山に小供らが見ゆ
ゆふ日とほく金に光れば群童は眼つむりて斜面をころがりにけり
群童が皆ころがれば丘のへの童女かなしく笑ひけるかも
いちにんの童子ころがり極まりて空見たるかな太陽が紅し
射的場に細みづ湧きて流れければ童ふたりが水のべに来し
いやまた若々しい茂吉の魅力たっぷりの一連で面白く、躍動する子供達の世界が活写されていますね。
昔の子供達と今の子供達の雰囲気を比べながら、この写真は見てしまいます。
スマホの写真一葉・短歌二首 9
稲田 正康
公園の成りて来たれることごとく幼児母親そして自転車
急斜面のぼるをさなご滑り落ちまた這ひ上ぼる幾度ものぼる
by t-ooyama | 2020-07-10 07:03 | Comments(9)
写真は滑り台での動きがそれぞれ異なる子供たちの姿を見事に捉えていて素晴らしい。滑り台があっても、その遊び方は自由自在。二首目のように斜面を下からのぼっていく子供もいる。滑り落ちても諦めず何度ものぼる。その様子は写真と歌でよく伝わってくる。
私も子供の頃、滑り台ではないが空き地の斜面を滑って遊んだことを思い出した。コロナ禍の自粛生活が続く中で、久しぶりに明るい気持にさせてくれた写真と短歌。ありがとうございました。
速写、即詠が如何に難しいかが解かる。写真と短歌がうまくマッチし
た作品は中々お目に掛かれない。今回は近隣に新しく整備された公園
をテーマにした作品。一首目。この歌の二句から三句の言葉の連系が
声調を妨げて間合いがわるい。「公園の成りて来れば」とすれば声調
確実に整うでしょう。下句も散文的収めになっています。
二首目。どでかい滑り台を思わせるコンクリ-ト製の急斜面で無心
に遊ぶ子供たち。傍で心配そうに立つ母親らしき人の姿も見える。
この歌の問題点は三十一文字しかない短歌で「のぼる・のぼる・
のぼる」と三回も繰り返し用いている事です。子供たちの動作の
強調とは言え煩雑さを感じさせる。勿体ない把握と思います。
小さい子が坂を上ろうとしていました。頂上近くは少し急になっているのか、もう少しの所で滑り落ちてしまう。また登ろうとする。お母さんは脇の階段を指していましたが、断固坂を這い上がろうとする。それは三歳(?)児が、初めて自分の意志を示そうとしている場のように見えました。大山さんの「幾度ものぼるが効果的」はそこを捉えて居られると思います。
「成りて来たれば」は主語が作者になりますね。ここでは連体形の体言扱いで、「来たれる(は)(その)ことごとく」を主語としました。ここで作者を主語とすると報告めくと思いました。後半は少し詰め込みになっています。
2首目は上記。昔「歩く歌」というのがありましたね。「歩け歩け……南へ北へ歩け歩け…」という。
これは「のぼる歌」です。
2首目 私の住いの前にも似たような滑り台がある。出来たのは40年位前なのでもっとシンプルだけれど子供達が今も遊びに来る。少し大きくなると弾みをつけて駈けのぼったりするが小さな子は何度も坂をよじのぼっては腹ばいのまま滑り落ちる。階段を使うことなど眼中になくひたすら目の前の坂をのぼろうとする姿に引き込まれて、つい手に力が入ってしまうこともある。そんな気持だったんじゃないだろうか。
この「のぼる」はそれぞれ微妙に違っていて、1度目は少し軽く、2度目は失敗してのやり直し、3度目は諦めずに何度も挑戦しようとする、次第に熱中してゆく子供の気持が重ねられているようだ。特に下句の繰り返しに勢いがある。
子どもは本当は外遊びや体を動かすことが大好き。
でも、ゲームが流行し、小学生でも公園に集まってゲームをする、という状況になってきていると言われていましたので。しかも年齢層も一様ではない。
こういう情景を久しぶりに見ました。
要塞のような滑り台。子どもはこんな建物のような遊具が大好きですね。
二首目はまだ年少の子どもの真剣な姿がうかがわれました。
公園での滑り台は、ただ滑るだけでなく、すべる斜面に向き合って上るのも大事な遊び。後者は少々危なく難しいので年齢が上にならないとできません。途中で滑り落ちてしまったり、走り上っていたけれど途中から手をついてよいしょよいしょと這い登る段階、そして最後が走ったまま滑り台の斜面を登りあがる段階で、これがおにいさん、おねえさんたちの段階です。
私は写真の角度に注目しました。写真の角度がちょうどベンチに座る高さ、保護者達が見守っているあずまやの椅子の高さのようですね。
この写真の高さが、作者の公園で遊ぶ子どもたちとその保護者をあたたかく優しく「見守る」視線をあらわしているようで、歌をひきたてるような気がいたしました。
斜面をおちても繰り返し上ることを挑戦する子どもたちを応援しているようです。そして、その子だけでなく他の子へもエールを。また、横に寄り添っている保護者らしき人へも。
子どもたちは未来ですものね。
でも未来を育てるのは大人と社会の役目。大人たちも元気に何度でも斜面を上り達成感を持てる平和な社会になることを祈ります。
稚拙な感想でした。失礼します。