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旧川越藩御仕置場跡地

川越街道を藤間から市街へと向かう途中に標記の跡地があって、そこには「開明地蔵大菩薩」という大きな地蔵が立っていた。
宝永6年(1703年)3月建立の俗称「首切り地蔵」である。3百年以上前から存在し、最初はもっとずっと先の「烏頭坂」の近くにあったものが、その地に人家が多くなって来て、次第に遠ざけられ現在の場所に移って来たらしい。
川越藩の公的資料にも、現在の場所で「無宿人 平次」なる人物が処刑され「晒し首」になったという記述があるそうだ。この処刑の時は明和9年(1772年)10月で、地蔵建立より70年が経過している訳である。その間、この地蔵の元で処刑されたことがどれくらいあったかは詳しくわからないが、そういう地蔵が令和の今なお、この地に立っていたことは事実である。処刑に赴く前に近所の茶屋で団子を食べた事までが伝わっている。
数年前には、この地蔵を大切に保護する様に、立派な建屋が新築され、そこにはお参りして鳴らす鈴と綱まで備えられていた。
花は絶える事なく飾られ、大切に守られていた様な気がする。建屋を囲む立派な神社風の石の塀まで設えてあった。
如何に大切にされていたか知れるのである。

それがどうした事か、最近なくなっていることに気がついた。あれって思って、何度もそのあたりを通ってみたが、やはり見当たらないのである。あんな大きな地蔵だから、見逃すこともないのだが。
そこでちょっと気になり調べてみたら「山の彼方に」というサイトの2020年2月21日発信の記事にぶつかった。
そして腰を抜かさんばかりに魂消た。
その地蔵は建屋、石の塀とそっくりすべて、ある方々の手により、
ドリルと大型ハンマーの力によって、粉々に破壊され、地蔵は恐ろしい事に、頭と胴体が切断され、瓦礫状に横たわっている写真がアップされていた。実際に3名の男性がぶち壊し作業を行なっている現場の写真も載せられている。
記事によると、ここは私有地であったが、持ち主が変わり、競売にかけられ、隣接市の業者が購入したそうであった。
こういう歴史的な跡地と物が、こんなに簡単に売り買いされ、簡単に破壊されてしまう事が信じられなかった。
300年前から、じっとここを動かず、また近所から大切に守られて来た様な歴史を感じていただけに、ただ驚きである。
手厚く御堂に守られ、大事にされて来たのには、やはり何かの「そうせねばならない」理由の様なものがあったのだろうと、考えると、
この荒っぽい破壊作業が、何か得体の知れない恐ろしさで迫ってくるのである。
写真などがご覧になりたい方は下をご覧下さい。

ogennki3.blog.fc2.com/blog-entry-323.html?sp

1坪にも満たない様な三角地点の場所を売り買いしてどれだけの利益が生ずるのであろうか。
いまこの地は「売地」となって幟も立っている。

使い道があるのだろうか。
どうして、300年の歴史を刻む「開明地蔵菩薩」をそっと設置したままにできなかったのか、壊してしまったものは戻らないので、本当に残念でならない。

by t-ooyama | 2020-10-28 16:08 | Comments(0)

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