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「短歌21世紀」復刊第一号について 2

引き続き、他のページを読んでゆきたい。
巻頭作品欄の他の方、同じように一首めをあげる。

梅雨の季節何時明けゆくか戸惑へり今日も朝より雨の降りゐて(高橋文博)
五時すでに朝の光となりをれば夜露をふきて腰を下ろしぬ(小林幸雄)
太幹に巻きつきのぼる蔓草の赤芽の先にあをき蒼き空(佐竹玲子)
駅舎より見下す町のしづまりて甍のうへに残るゆふかげ(滝澤一治)
北アルプス縦走したる日のありき少し歩けば腰痛むわれ(多賀陽美)

高橋、小林のお二方は、いわゆる天候の歌。今年の梅雨は長くて鬱陶しいなというような嘆き。早朝から光を感じ、よし頑張るぞと窓から外を眺めるような姿勢を感ずる歌。
佐竹氏は蔓性の植物の強かさを歌いながら、その先に広がる青空に期待を膨らませるような歌か。
滝澤氏の歌は、高いところにある駅舎からの夕方の町の展望。同じ意味なのだが、「見下す」は辞書通りだと「みくだす」と読む。さすがにここは「みおろす」なのだろうなと思って読んだ。辞書的には「見下ろす」と書き分けている。
多賀氏の歌は、若い頃は健脚を誇ったのに、今は情けないね、という高齢になった嘆きであろう。

特別作品25首詠の佐藤光江氏作品。
縫いゆけば次第に気持ちも静まりぬ長き休みに知りたりしこと
「不器用だね」と母に言われしこの指にてきょう作りたる布ぞうり履く
茄子を切るゆっくりと切る速く切る新しきこと探るごとくに
新仮名遣いである。歌の中の「長き休み」は、このコロナ禍によるステイホームの影響からの仕事の休業なのかもしれない。
何か若々しい集中力がこもっている。具体的な作り方にもリアリティーがある。
どこへ向かう国であるのかそれぞれに結局のところまかされている
国民と共にの国民誰なのか今泣く少女か私のことか
こう歌って政治の頼りなさを嘆くにも、生活臭が感じられる。


奥付には、発行人、編集長、副編集長、編集委員などのお名前が記され、合計9名であった。
中には「短歌21世紀作業所」なる所があって、総括 伊藤光冨久 とある。
この作業所は何をする所なのか、ちょっとわからないが、もしかしたら小誌のように印刷データの内製化を進めているのかもしれない。

追記
昨夜遅く帰宅してから「2」を書いた。
少し急いだこともあるが、今朝変換ミスなどを訂正した。取り上げた作品に二つあって、お詫びしたい。
今の新Wordのバージョンは本当に使い難く、ちょっと油断すると隣接候補が選択されてしまう。
一つの文書を書くにも、何度か読み直し、その都度訂正を繰り返し、完成へ近づけてゆくのが実際の姿である。
ご容赦願いたい。


by t-ooyama | 2020-11-05 23:52 | Comments(0)

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