本日標記の通り下版作業をしてデータは手元を離れた。
あちこちうっかりミスはあろうと思うので、今はこのデータを見ようという気がしない。ミスを発見して気に病んでしまうのが嫌なのである。
最初からほぼ十日間で制作するというのは急ぎすぎなので、完璧データは望んでいない。逆に言えば、よくこんな密度の濃い冊子を短時間にできたものだという達成感にもなっている。頭の中や眼球が過熱するのを久々に経験した。この過熱感は、40年ほど前に、小誌の月例歌会をやって、その後、あの頃やっていた企画の「綴込み歌集」シリーズの批評会を設定していた頃にはよく覚えた。あの頃は午前十時開始の月例会で、昼食を挟み、午後五時に終了、その後少し休憩し、五時半より批評会を設けたのである。わたしなどは家を朝の八時には出て、歌会、批評会と続き、それが終わるのが八時ごろだった。帰宅するのが22時という状況。頭や眼球が過熱して火照るのを覚えた。
それを思い出すほど、今回の激しい十日間だった
「冊子を作る」での文章はすべて、その場で考えながら直接にインデザインの文字枠の中に打ち込んだ。
そして同時進行で必要となる画像をパソコン画面の「スクリーンショット」を連発してコピー。それを同時にフォトショップを立ち上げて取込み、色抜き、切り取り、画像調整、解像度を印刷用の300に直し、別名保存をする。そしてその画像を制作中の誌面に配置してゆく。これを数え切れないほど繰り返すのである。本物のリアルタイムで作る手作りの書き下ろし版であろう。
凄い数の画像が作られ、使用済みはゴミ箱行き。大変なデータ量となり、パソコンも悲鳴をあげて動きが緩慢になる。
ひたすら忍耐と粘着力で頑張った十日間となった。
校正に於いては担当の桜井さんと幾度もぶつかった。そんなこと、どこに入れるんだよ、入る場所ないよ。そんな微細な点、いいじゃないか。誰も気がつかないよ。画像が見えにくいとか言ってもさ、元々小さいんだし、拡大すればスペースをとるし、限度ある本文ページなので無理だよ。そこまで説明するって、文章も画像も作り直しになるよ、勘弁してよ。って具合でバトルであった。
そんな校正による手直し、再構築、再校正チェックをすること約4回。日程的に限度が来て、本日の下版となった。
夜に事務局に下版の報告を入れた。
すごいものが出来るよねって、喜んで下さった。
みんなで良いものを作ろうとするから、真剣な姿勢となり結果的「ぶつかりあう」んだよね、って言われた。
まあ、そうだよね。結構凄まじいバトルをやったよって、わたしも笑った。
そんな今日の午後、島木赤彦研究会様より、正式なお便りがあった。
小誌の受賞は関係各方面に知らされた模様である。
わたしには記念講演の内容を教えて欲しい、ともある。
「冊子を作る」とでもしようかと思っている。
授賞式は午後一時から。
続いて総会が行われ、午後二時十五分より講演となる。
約60分から70分が当てられる。
四時半より懇親会だそうだ。
そして六時にお開き。
というスケジュールである。
みなさま。
冬雷の受賞ですから、ご都合つけてご参加願います。
「冊子を作る」も当日資料として配りますよ。
追記
今日は20日の早朝である。ふと気になって、下版データを見てしまった。
案の定、見つかったミスがいくつか。もう気になって仕方がない。やっぱり直すことにした。
そして訂正して下版作業のやり直し。そして、そのデータのチェックをする。
うん、今度は良さそうだ。
昨日送った下版の入った袋はまだ郵便局の中だろう。
まだ、間に合う。
この訂正した下版PDFデータを電子メール添付で担当の方に送ることにする。
こっちの方がきっと早く着くはずだ。
追記 20日14時30分
先ほどより印刷所との打ち合わせ。
表紙部分の印刷製本で少し問題が出そうなので、背のタイトルは外すことにする。
薄すぎてどのみち文字が出ないので、文字を削除して、背のスペースを2mmの白で作り直し。
これなら、製本時にちょびっとズレが生じても、見た目問題なし、とのこと。
その背の白部分のサイズをどうするかでデータを二回作り直す。
印刷所も、良い仕事をしたくて頑張ってくださっている。ありがたい。
これでO K。
追記 詳細が入る 9月22日
昨日午後に詳細が入った。
同賞には対象が二つで、山中律雄氏の歌集『淡黄』が同時受賞となる。
山中氏は「運河」の代表なので、運河の方からの人も訪れそうで、小誌の方はそう多くの参加はなくとも良さそう。
また同新人賞として、吉田直久氏の歌集『縄文の歌人』が選ばれている。こちらは「国民文学」所属の新鋭。こちらからの参加もありそう。
上記の二歌集は共に小誌でも取り上げた優秀歌集なので、受賞はまことにふさわしい。
良い本が選ばれ、また出会いもありそうで、大事な集まりとなりそう。
小誌も自然体でのぞみたい。