人気ブログランキング | 話題のタグを見る

サンドウエッヂ

砲台グリーンの芝が硬くあまりにも速いので、天下のプロ選手100人余がプレーしたに関わらずバーディー無し、過半数がボギーという状況で、そのホールは渋滞となってしまったという。
通常はハーフ二時間十分程度のところ、その日は二時間四十分掛かってしまったそうで、困った主催者側はその日のプレー全終了後にグリーンと周りに水をまいて柔らかくして周囲のラフも刈り込まずにボールが止まるようにしたらしい。プロのツアーが行われているのにこんな対応をすることがあるなんて驚いた。
ということで、翌日の結果はどうかと見てみたら、やはりバーディーは数えるほどしかなく、ボギーもかなりある難ホールでかわりないようであった。恐ろしいほど難しいグリーンということか。わたくしなどがプレーしたとしたら、それこそ行ったきたりで、いつになっても終らないに違いない。
砲台でなくても速いグリーンに止めるにはボールを高くあげて落すしかなく、転がしたのでは転がり落ちてしまう。もともとわたくしは転がすのが下手なので、いつもボールをあげて狙うのだが、それでも高さが足らず止まらないことが多い。手首を柔らかくして軽く上げることができず、力が入るのだ。
石川遼選手が、ロブショットはスイングを一定の速さで振るのが骨ですって話していたのを聴いてから、ゆっくりあげてゆっくりボールの下を滑らすように振る練習をしている。
グリップの形でどんな球筋になるか決まってしまう、という話を聴いて、グリップを常に一定にすることに神経を使っている。
アプローチはパターと同じで右腰を動かしてはいけない、という話を聴いて、右腰を軸にして振りぬく練習をしている。右腰に力を溜めて左腰を回すようにクラブヘッドをボールの下を滑らすイメージで振る。最近は練習場にもサンドウエッヂ1本しか持ちこまない。徹底的にアプローチを繰り返している。
すこしは成果も出ているのだろうが、まだまだミスがでる。たまに鋭くシャンクするのは右腰が動く時である。右腰を軸に柔らかく振りぬく。意識的に左腰を回転させる。ボールの先30cm程度までまっすぐにヘッドを滑らす意識で振りぬく。この繰り返し。うまく振りぬけると、ボールはふわっとあがる。スイングが速くなった時はボールが高く上がるけれど、バックスピンがかかりすぎて距離が出ないミスとなる。あくまで柔らかく振って軽く打ち上げるイメージが大切。
わたくしの三浦技研サンドウエッヂ57度は、このところ鍍金が剥げ落ちてしまった部分がある。いいところに当たっているな~っていうポイントである。ボールを高く上げてスピンを掛けるには、シャフトに近い根元の部分から打ち込んでフェース面を滑らすようにボールを跳ね上げるのである。

さて、冒頭に書いた難ホールをどう克服するか? 日曜日の女子プロゴルフ最終日は見ものだ。不動とさくらの一騎打ちになって欲しい。大和撫子頑張れ。

# by t-ooyama | 2010-05-16 00:50 | Comments(0)

お久しぶりですね

皆様コンニチハ。
おひさしぶりの感ですね。すみません。

さきほど6月号用のウェブ配信データをアップする手続きをしました。
本物は来週半ば頃の配達になると思います。

日下部冨美様の文庫歌集の方も最終段階に入ってます。その返信待ちです。
これは正直申してかなりインパクトのある優れた歌集となる自信があります。お楽しみに。
なにしろ現役で百歳を越えた歌人の歌集ですから、これ自体非常に稀なもので、しかも内容が半端でなく優れていて、いきいきしたその頭脳から生まれでる作品の瑞々しさに打たれるはずです。

二月末に飛び込み自殺の猫を「轢き殺し」たあと、すこし落ち込みです。
皆様も交通事故にはご注意下さい。
猫って、祟る・・・し。

# by t-ooyama | 2010-05-15 12:43 | Comments(0)

本作りの精神

 田中栞先生の「本を作る」8回目の話です。
 最近珍しい作りの本が二つ出版されていて、その作り方、綴じ方の名称? に拘られております。本は、
  1、岸田将幸『〈孤絶 - 角〉』(思潮社、平成二一年)
  2、林望『謹訳源氏物語一』(祥伝社、平成二二年)
です。これらの本はとても奇抜な装幀となっていて、
  1、本文用紙を糸かがりして、折丁の背に接着剤をつけて固めてから、二ミリほどの厚み
    がある灰色の板ボールを表紙として取りつけただけのもの。背貼りは一切なく、透明
    のプラスチック・ジャケットを通して、剥き出しの背を見ることができる。
  2、本文は糸かがりで、背が剥き出しになっている。ただ、表紙は硬い板ボールではなく、
    並製本の表紙のように柔らかい用紙を使っているので、しなやかに曲がる。ちなみに
    こちらは書籍本体の外側に紙製のジャケットと帯がかかっているため、書店の店頭な
    どで外装を一見しただけでは、本の背が剥き出しの造本になっていることはわからない。
ということです。これについては『謹訳源氏物語一』の方に、著者のコメントが添えられ、
    本書は「コデックス装」という新しい造本法を採用しました。背表紙のある通常の
    製本形態とはことなり、どのページもきれいに開いて読みやすく、平安朝から中性
    にかけて日本の貴族の写本に用いられた「綴葉装(てつようそう)」という古式床
   (こしきゆか)しい装訂法を彷彿(ほうふつ)とさせる糸綴(いとと)じの製本です。
とあるそうです。
 わたくしなどには凄く斬新に映ったその「本作り」は「綴葉装」という、とても古風な方法であったことになり、なるほどな〜温故知新か・・・といったんは感心しましたが、田中先生はここで簡単に納得はされず、執拗に拘り、短期間に精力的な取材行動に打って出て、本来は「西洋古典籍の写本の形状の一つで、ペラものの文書類や巻物などに対して、糸を使った中綴じの折丁を基本として冊子状に仕立てたものを指す」意味の「コデックス(Codex)」とは「違う」のではないか? として、ついにはまったく新しい名称であるところの、

   「背出し装」

を考え出されました。
   「背の部分が剥き出しで、綴じ糸が見える」ということでは「綴葉装」もこの「背出し装」
   の一種ということになる
ともございます。この「背出し装」のネーミングの意味はとても重要なことかと思います。まさに「本作り」にすべてを捧げ情熱を迸らせる生き様が、この「本を作る」8回目の原稿の送受信の2〜3日間に露呈されました。

 わたくしが最初に原稿を頂いたのが27日の15時頃。翌日の夜に開いて読み、どんなものになるかと簡単に組んでみたのですが、なにしろ写真が12枚も入るというボリュームで、これはどうやっても納まらないな〜と悩んでいた時に「改稿版」が届いたのであります。このあたりの背景は先生のオフィシャルブログにも書かれていらっしゃるのでご覧ください。
 いったいどこを改稿されたのかを調べてみると、この「背出し装」の名称を引き出すために28日の午後から走り回られ「製本工房リーブルの岡野暢夫氏にも意見を聞」いたとあります。はっきり言いまして今回の原稿は通常より一週間ほど遅い入稿でした。それほど拘られて書きあぐね、調べていらした学術的に見ても「非常に重たい記事」となるようです。先生のブログには『冬雷』の大山敏夫編集長(月刊短歌誌)の記載がしばしば登場致します。わが冬雷は、豆本を主とする先生のサークルの方々にも、手作りを主とする製本家のサークルの方々にも、とても注目されるところとなっております。

 今回はややフライングの感がございますが、先生の8回目の記事を取上げながら、すこし興奮気味に書いております。本はやはり「作り方(装幀)」をぬきには考えれないでありましょう。中身を相応に引き立たせられる「本作り」は当り前ですが必要であります。
 みなさまも、どうぞここに取上げられております二つの本を書店でご覧のときは、手に取ってじっくりと造本の妙をご体験下さい・・・

 じゃ、このあたりで。そうそう、8回目は3頁に納まらないとみて4頁組みと致しました。こちらもお楽しみに・・・先生には「おしゃべりすぎた事」をお詫び致します。
  
  

# by t-ooyama | 2010-04-29 20:05 | Comments(0)

お酒のお誘い

深夜便です。

最近のわたくしはいままでの室内業務と少し変わり、外に出ることが多くなりました。
そうすると自ずから「人」に多く会うことになります。
そうすると自ずから「人と話をする機会」も多くなります。
すべてが新しい体験となり、刺激的であります。
知らなかったことがこんなにもあったのか・・・という気分です。
日々是勉強・・・という気分です。
昼間など外を歩いていると、さながら植物が盛んに光合成をしている気分を味わいます。
太陽光による「充電感覚」も味わいます。
何か元気が出てくる気分です。
こういう不思議な感覚を短歌化して、今度の「短歌」「短歌往来」に出しました。
6月号をご覧ください。
外に出ると私用とか業務とかを超えて、
自分を肥らす何かが・・・確かに感じられます。

月曜日はお酒のお誘いを受けました。
依田仁美とおっしゃる豪快な歌人のお誘いです。
「短歌人」所属のこの豪傑は、自分でも雑誌を編集されていて、
しかも、もの凄く面白いサイトも運営しています。
お酒も強そうなので・・・少し心配ですが、
まあ、こういうお誘いも最近なかったので、
楽しみにしています。

こんな日常を送っていますので、
ご安心ください。
元気です。

# by t-ooyama | 2010-04-26 00:25 | Comments(1)

写真

写真が嫌いでほとんど自分の写っているものは凝視しないと以前書きました。
いままでもいろいろ頂いたりしておりますが、まあ、さっと観るだけであとは机の中です。
整理をしていない十年ほどの写真がごちゃごちゃに入っています。冬雷中心のもので、プライベートなものは数枚です。
ですから、今後もわたくしの写った写真等はわざわざお届けくださる必要はございません。お手数をお掛けするのが申し訳ないので、ここで申し上げておきます。

実は昨晩遅い時間に「サイゼリヤ」に行ってビールを飲み、大好きな青豆の温サラダを食べながら、短歌現代に写っているという自分の写真を観ました。作業服(現場での姿)の自分を何かのかたちで残しておきたいと思い、撮ってもらった最近のものです。出版印刷の書籍の本文を印刷しているところです。実際にはこういう最前線での作業はここ数年やっておりません。
写真は自分で加工してデータを送ったものなので何が写っているかは分っていましたが、かなりリアルに再現されていて、自分の加工技術がよかったのか、写真印刷の腕がよかったのか、まあ、不満はありませんでした。

写真を観ながら、写真というのは、つくづく客観者だと思いました。機器なので感情というものがなくて「そっくりそのまま」写し取ります。このリアルさには、短歌でいかにリアリズムを貫いても適わないなと思います。絵で観るリアルと文字や言葉で表現するリアルには違いがあるので、気にすることもないのかな・・・

  客観視するにはこれに優るものあらざらむ写真の俺を観てゐる

という気持になりました。

# by t-ooyama | 2010-04-25 10:08 | Comments(0)